2023日本櫻花物語
東京成田JR 直達 》 東京(靖國神社&千鳥淵、上野恩賜公園、新宿御苑、中目黑星巴克、目黑川、目黑川2,隅田公園、六義園、井之頭恩賜公園、井之頭恩賜公園2、東京鐵塔、谷根千、八丈島、下北澤、新宿歌舞伎町)》、東京日本橋櫻花通、
靜岡、靜岡2》 S-pulse Dream Ferry清水港》土肥港》清水港》靜岡( 沼津,三島)》熱海(初島,熱海城,來宮神社,起雲閣》小田原》箱根湯本》》強羅》 桃源台》/小田原16m》湯本箱根》元箱根港 (箱根套票)》小田原》新松田》松田》禦殿場》殿場outlet購物》山中湖(富士五湖周遊券)》富士五湖(32m)河口湖》草間神社》東京新宿》
東京(JR東日本鐵路周遊券)》上越妙高》新潟》上越妙高(週六)雪月花觀光列車)高田城,春日山,春日山城》長野 (上田城跡公園,善光寺,城山公園,川中島古戰場)》長野》松本城》松本》(木曾平澤車站(奈良井宿)》伊那市(高遠城址公園),小佈施》上田(上田城跡公園)》東京(東京廣域周遊券3日)》
橫濱》鎌倉》江之島》橫濱》東京成田terminal
桜前線を追って――一か月余りの日本紀行
桜前線(さくらぜんせん)を追(お)って――一(いっ)か月(げつ)余(あま)りの日本紀行(にほんきこう)
国際連盟(こくさいれんめい)の事務総長(じむそうちょう)に就任(しゅうにん)して以来(いらい)、私(わたし)は日本支部(にほんしぶ)との連絡(れんらく)と交流(こうりゅう)に積極的(せっきょくてき)に努(つと)めてきた。
仕事(しごと)を通(つう)じて結(むす)ばれた縁(えん)は、やがて国境(こっきょう)を越(こ)えた友情(ゆうじょう)となった。前年(ぜんねん)、私は友人(ゆうじん)たちに助(たす)けられながら、一(いっ)か月(げつ)余(あま)りにわたって日本各地(にほんかくち)の紅葉(こうよう)を追(お)った。そして今度(こんど)は、北(きた)へ移(うつ)っていく桜前線(さくらぜんせん)を追(お)い、再(ふたた)び一(いっ)か月(げつ)を超(こ)える日本(にほん)の旅(たび)に出(で)た。
秋(あき)には紅葉(こうよう)を追(お)い、春(はる)には桜(さくら)を追(お)う。まるで日本列島(にほんれっとう)そのものが、私(わたし)のために二巻(にかん)の長(なが)い絵巻物(えまきもの)を開(ひら)いてくれたかのようであった。
花とは桜、人とは武士
桜(さくら)は、日本人(にほんじん)にとって単(たん)なる春(はる)の花(はな)ではない。咲(さ)く喜(よろこ)びと散(ち)る悲(かな)しみ、出会(であ)いと別(わか)れ、青春(せいしゅん)と無常(むじょう)を同時(どうじ)に宿(やど)す、特別(とくべつ)な花(はな)である。
江戸時代(えどじだい)の国学者(こくがくしゃ)・本居宣長(もとおりのりなが)は、日本人(にほんじん)の心(こころ)を桜(さくら)に託(たく)して、次(つぎ)のように詠(よ)んだ。
敷島(しきしま)の大和心(やまとごころ)を人問(ひとと)はば朝日(あさひ)に匂(にお)ふ山桜花(やまざくらばな)
「日本人(にほんじん)の心(こころ)とは何(なに)か」と尋(たず)ねられたなら、それは朝日(あさひ)を浴(あ)びて美(うつく)しく輝(かがや)く山桜(やまざくら)のようなものだ、と宣長(のりなが)は答(こた)えたのである。
また、平安時代(へいあんじだい)の歌人(かじん)・在原業平(ありわらのなりひら)は、桜(さくら)を愛(あい)するがゆえの心(こころ)の乱(みだ)れを、こう詠(よ)んだ。
世(よ)の中(なか)に絶(た)えて桜(さくら)のなかりせば春(はる)の心(こころ)はのどけからまし
もし世(よ)の中(なか)に桜(さくら)がなければ、花(はな)が咲(さ)いた、散(ち)ったと心(こころ)を騒(さわ)がせることもなく、春(はる)をもっと穏(おだ)やかに過(す)ごせるだろう――。それでも人(ひと)は、桜(さくら)を見(み)ずにはいられない。
私(わたし)の一(いっ)か月(げつ)余(あま)りの追桜旅行(ついおうりょこう)も、まさにそのような「心(こころ)の騒(さわ)ぎ」から始(はじ)まった。
東京――大都会に咲く桜
成田空港(なりたくうこう)からJRの直通列車(ちょくつうれっしゃ)に乗(の)り、東京(とうきょう)へ向(む)かった。車窓(しゃそう)の風景(ふうけい)が次第(しだい)に田園(でんえん)から高層建築(こうそうけんちく)へ変(か)わるにつれ、私(わたし)の心(こころ)も春(はる)の期待(きたい)に満(み)たされていった。
最初(さいしょ)に訪(たず)ねたのは靖国神社(やすくにじんじゃ)と千鳥ヶ淵(ちどりがふち)であった。靖国神社(やすくにじんじゃ)には、東京(とうきょう)の桜(さくら)の開花(かいか)を判断(はんだん)する標本木(ひょうほんぼく)がある。その木(き)に数輪(すうりん)の花(はな)が開(ひら)くと、東京(とうきょう)に春(はる)の到来(とうらい)が告(つ)げられる。
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)では、皇居(こうきょ)のお濠(ほり)を覆(おお)うように桜(さくら)が咲(さ)き誇(ほこ)っていた。淡(あわ)い花(はな)の雲(くも)が水面(みなも)に映(うつ)り、花(はな)びらは春風(はるかぜ)に乗(の)って静(しず)かに水(みず)へ落(お)ちていく。ボートが進(すす)むたびに水面(みなも)が揺(ゆ)れ、桜(さくら)の影(かげ)も夢(ゆめ)のように揺(ゆ)らいだ。
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、まったく異(こと)なる表情(ひょうじょう)を見(み)せていた。桜並木(さくらなみき)の下(した)には花見客(はなみきゃく)が集(つど)い、笑(わら)い声(ごえ)が絶(た)えない。前年(ぜんねん)、日本(にほん)の友人(ゆうじん)が早朝(そうちょう)から場所(ばしょ)を確保(かくほ)してくれた「桜王(さくらおう)」の辺(あた)りを再(ふたた)び歩(ある)くと、旅(たび)の思(おも)い出(で)と友情(ゆうじょう)が、満開(まんかい)の花(はな)とともによみがえった。
新宿御苑(しんじゅくぎょえん)では、染井吉野(そめいよしの)だけでなく、さまざまな種類(しゅるい)の桜(さくら)を見ることができた。広(ひろ)い芝生(しばふ)の上(うえ)に古木(こぼく)の枝(えだ)が伸(の)び、都会(とかい)の中央(ちゅうおう)とは思(おも)えないほど静(しず)かな春景色(はるげしき)が広(ひろ)がっていた。
中目黒(なかめぐろ)では、目黒川(めぐろがわ)の両岸(りょうがん)から桜(さくら)の枝(えだ)が水面(みなも)へと垂(た)れ、長(なが)い花(はな)の回廊(かいろう)をつくっていた。川沿(かわぞ)いのスターバックスから眺(なが)める桜並木(さくらなみき)は、東京(とうきょう)らしい現代的(げんだいてき)な春(はる)の風景(ふうけい)であった。
夜(よる)になると提灯(ちょうちん)と街(まち)の明(あ)かりが川面(かわも)に映(うつ)り、花(はな)の色(いろ)は昼間(ひるま)よりも妖艶(ようえん)に見(み)えた。散(ち)った花(はな)びらが川(かわ)を覆(おお)う「花筏(はないかだ)」は、過(す)ぎ去(さ)る春(はる)が残(のこ)した一筋(ひとすじ)の白(しろ)い流(なが)れであった。
隅田公園(すみだこうえん)では、桜(さくら)の向(む)こうに東京スカイツリーがそびえていた。江戸(えど)の昔(むかし)から愛(あい)されてきた桜(さくら)と、現代東京(げんだいとうきょう)の象徴(しょうちょう)が同(おな)じ空(そら)の下(した)に並(なら)ぶ。その対照(たいしょう)が、東京(とうきょう)の長(なが)い歴史(れきし)を物語(ものがた)っていた。
六義園(りくぎえん)の枝垂桜(しだれざくら)は、空(そら)から降(ふ)り注(そそ)ぐ薄紅色(うすべにいろ)の滝(たき)のようであった。井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)では、池(いけ)を囲(かこ)む桜(さくら)が水面(みなも)に映(うつ)り、ボートの間(あいだ)を花(はな)びらがゆっくりと漂(ただよ)っていた。
さらに、東京タワー、谷根千(やねせん)、八丈島(はちじょうじま)、下北沢(しもきたざわ)、新宿歌舞伎町(しんじゅくかぶきちょう)を歩(ある)いた。谷中(やなか)、根津(ねづ)、千駄木(せんだぎ)の古(ふる)い町並(まちな)みには東京(とうきょう)の懐(なつ)かしい面影(おもかげ)が残(のこ)り、下北沢(しもきたざわ)には若者文化(わかものぶんか)の自由(じゆう)な空気(くうき)が流(なが)れていた。
日本橋(にほんばし)の「さくら通(どお)り」では、高層建築(こうそうけんちく)の谷間(たにま)を桜並木(さくらなみき)が走(はし)っていた。古(ふる)くから日本(にほん)の道路(どうろ)の起点(きてん)であった日本橋(にほんばし)から、今度(こんど)は静岡(しずおか)と富士山(ふじさん)を目指(めざ)して旅(たび)を続(つづ)けた。
駿河湾と富士山を巡る春
静岡(しずおか)から清水港(しみずこう)へ向(む)かい、エスパルスドリームフェリーに乗(の)って駿河湾(するがわん)を渡(わた)り、伊豆半島(いずはんとう)の土肥港(といこう)を訪(たず)ねた。
海上(かいじょう)から眺(なが)める富士山(ふじさん)は、地上(ちじょう)から見上(みあ)げる姿(すがた)とは違(ちが)い、青(あお)い海(うみ)の上(うえ)に白(しろ)く浮(う)かんでいるように見(み)えた。桜(さくら)、海(うみ)、富士山(ふじさん)が一(ひと)つの風景(ふうけい)に重(かさ)なるとき、それは日本(にほん)の春(はる)を象徴(しょうちょう)する一枚(いちまい)の絵(え)となった。
清水港(しみずこう)へ戻(もど)った後(あと)、沼津(ぬまづ)と三島(みしま)を経(へ)て熱海(あたみ)へ向(む)かった。熱海(あたみ)では初島(はつしま)、熱海城(あたみじょう)、来宮神社(きのみやじんじゃ)、起雲閣(きうんかく)を巡(めぐ)った。
来宮神社(きのみやじんじゃ)の大楠(おおくす)は、桜(さくら)の短(みじか)い命(いのち)とは対照的(たいしょうてき)に、長(なが)い歳月(さいげつ)を生(い)き続(つづ)けている。桜(さくら)が一瞬(いっしゅん)の美(うつく)しさを語(かた)るなら、大楠(おおくす)は永遠(えいえん)に近(ちか)い生命(せいめい)の力(ちから)を語(かたっているようであった。
箱根から富士五湖へ
小田原(おだわら)から箱根湯本(はこねゆもと)へ入り、箱根登山鉄道(はこねとざんてつどう)で強羅(ごうら)へ向(む)かった。さらに桃源台(とうげんだい)、元箱根港(もとはこねこう)を巡(めぐ)り、箱根(はこね)の山(やま)と湖(みずうみ)の春(はる)を味(あじ)わった。
箱根周遊券(はこねしゅうゆうけん)を利用(りよう)すると、登山鉄道(とざんてつどう)、ケーブルカー、ロープウェイ、バス、遊覧船(ゆうらんせん)を乗(の)り継(つ)ぎながら、変化(へんか)に富(と)んだ箱根(はこね)の風景(ふうけい)を楽(たの)しむことができた。
小田原(おだわら)から新松田(しんまつだ)、松田(まつだ)、御殿場(ごてんば)へ進(すす)み、御殿場(ごてんば)のアウトレットにも立(た)ち寄(よ)った。買(か)い物(もの)の後(あと)は山中湖(やまなかこ)へ向(む)かい、富士五湖周遊券(ふじごこしゅうゆうけん)を使(つか)って河口湖(かわぐちこ)などの湖(みずうみ)を巡(めぐ)った。
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)では、古(ふる)い杉(すぎ)の木々(きぎ)が参道(さんどう)を包(つつ)み、富士山信仰(ふじさんしんこう)の長(なが)い歴史(れきし)を感(かん)じさせた。湖畔(こはん)から仰(あお)ぐ富士山(ふじさん)の裾野(すその)には桜(さくら)が咲(さ)き、雪(ゆき)の白(しろ)、空(そら)の青(あお)、花(はな)の薄紅色(うすべにいろ)が見事(みごと)に調和(ちょうわ)していた。
西行法師(さいぎょうほうし)は、桜(さくら)を愛(あい)する心(こころ)を次(つぎ)の歌(うた)に残(のこ)した。
願(ねが)はくは花(はな)の下(した)にて春死(はるし)なんその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ
できることなら、満開(まんかい)の桜(さくら)の下(した)で春(はる)に生涯(しょうがい)を終(お)えたい――。富士山(ふじさん)と桜(さくら)を前(まえ)にすると、西行(さいぎょう)がなぜそれほど花(はな)を愛(あい)したのか、少(すこ)し分(わ)かるような気(き)がした。
桜前線を追って信越へ
東京(とうきょう)へ戻(もど)った後(あと)、JR東日本鉄道周遊券(ジェイアールひがしにほんてつどうしゅうゆうけん)を利用(りよう)し、桜前線(さくらぜんせん)を追(お)って上越妙高(じょうえつみょうこう)と新潟(にいがた)へ向(む)かった。
週末(しゅうまつ)には、上越妙高(じょうえつみょうこう)から観光列車(かんこうれっしゃ)「えちごトキめきリゾート雪月花(せつげっか)」に乗(の)った。大(おお)きな車窓(しゃそう)の向(む)こうには、雪(ゆき)の残(のこ)る山々(やまやま)、春(はる)の田園(でんえん)、海(うみ)、そして遅咲(おそざ)きの桜(さくら)が次々(つぎつぎ)に現(あらわ)れた。
「雪月花(せつげっか)」とは、雪(ゆき)、月(つき)、花(はな)という日本(にほん)の自然美(しぜんび)を表(あらわ)す言葉(ことば)である。その名(な)のとおり、列車(れっしゃ)の旅(たび)は、移動(いどう)そのものが一編(いっぺん)の詩(し)のようであった。
高田城址公園(たかだじょうしこうえん)では、城(しろ)と堀(ほり)を囲(かこ)む桜(さくら)が見事(みごと)であった。特(とく)に夜(よる)の桜(さくら)は、灯(あか)りに照(て)らされて水面(みなも)に映(うつ)り、昼(ひる)とは違(ちが)う幻想的(げんそうてき)な世界(せかい)をつくり出(だ)していた。
春日山(かすがやま)と春日山城跡(かすがやまじょうあと)では、戦国武将(せんごくぶしょう)・上杉謙信(うえすぎけんしん)の足跡(そくせき)をたどった。「義(ぎ)」を重(おも)んじた謙信(けんしん)が見下(みお)ろした越後(えちご)の山河(さんが)は、今(いま)、柔(やわ)らかな春(はる)の光(ひかり)に包(つつ)まれていた。
長野――歴史と桜の道
長野(ながの)では、上田城跡公園(うえだじょうせきこうえん)、善光寺(ぜんこうじ)、城山公園(じょうやまこうえん)、川中島古戦場(かわなかじまこせんじょう)を訪(たず)ねた。
上田城(うえだじょう)は真田氏(さなだし)ゆかりの城(しろ)であり、桜(さくら)に包(つつ)まれた櫓(やぐら)と石垣(いしがき)には、戦国時代(せんごくじだい)の記憶(きおく)が残(のこ)っていた。
善光寺(ぜんこうじ)では、参拝者(さんぱいしゃ)の祈(いの)りと春風(はるかぜ)に舞(ま)う花(はな)びらが交(まじ)り合(あ)い、心(こころ)が自然(しぜん)に静(しず)まっていった。
川中島古戦場(かわなかじまこせんじょう)では、武田信玄(たけだしんげん)と上杉謙信(うえすぎけんしん)の激戦(げきせん)を思(おも)った。かつて兵馬(へいば)が駆(か)けた土地(とち)にも、今(いま)は桜(さくら)が咲(さ)き、子供(こども)たちの声(こえ)が響(ひび)いている。歴史(れきし)の争(あらそ)いを静(しず)かに覆(おお)う桜(さくら)は、平和(へいわ)の尊(とうと)さを語(かた)っているようであった。
松本、奈良井宿、高遠、小布施
松本城(まつもとじょう)では、黒(くろ)い天守(てんしゅ)、白(しろ)い雪山(ゆきやま)、薄紅色(うすべにいろ)の桜(さくら)が重(かさ)なった。黒(くろ)と白(しろ)と桜色(さくらいろ)の対比(たいひ)は鮮(あざ)やかで、どこから眺(なが)めても絵(え)になる風景(ふうけい)であった。
松本(まつもと)から木曽平沢駅(きそひらさわえき)を経(へ)て奈良井宿(ならいじゅく)を訪(たず)ねた。中山道(なかせんどう)の宿場町(しゅくばまち)には、木造(もくぞう)の古(ふる)い家並(いえな)みが続(つづ)き、江戸時代(えどじだい)へ迷(まよ)い込(こ)んだような気持(きも)ちになった。
伊那市(いなし)の高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)は、今回(こんかい)の追桜旅行(ついおうりょこう)における大(おお)きな目的地(もくてきち)の一(ひと)つであった。ここに咲(さ)く高遠小彼岸桜(たかとおこひがんざくら)は、染井吉野(そめいよしの)よりもやや濃(こ)い紅色(べにいろ)を帯(お)びている。
満開(まんかい)の桜(さくら)が丘(おか)を覆(おお)うと、城跡(しろあと)全体(ぜんたい)が巨大(きょだい)な花(はな)の雲(くも)となる。遠(とお)くには雪(ゆき)を頂(いただ)く山々(やまやま)が連(つら)なり、花(はな)の向(む)こうに信州(しんしゅう)の雄大(ゆうだい)な春(はる)が広(ひろ)がっていた。
小布施(おぶせ)では、栗(くり)の町(まち)の落(お)ち着(つ)いた風情(ふぜい)と、葛飾北斎(かつしかほくさい)ゆかりの文化(ぶんか)に触(ふ)れた。その後(ご)、再(ふたた)び上田(うえだ)を訪(たず)ね、上田城跡公園(うえだじょうせきこうえん)の桜(さくら)に別(わか)れを告(つ)げ、東京(とうきょう)へ戻(もど)った。
横浜、鎌倉、江の島へ
東京広域周遊券(とうきょうこういきしゅうゆうけん)を使(つか)い、横浜(よこはま)、鎌倉(かまくら)、江の島(えのしま)へも足(あし)を延(の)ばした。
横浜(よこはま)では、港(みなと)の開放的(かいほうてき)な風景(ふうけい)と異国情緒(いこくじょうちょ)を楽(たの)しんだ。鎌倉(かまくら)では、古寺(こじ)の境内(けいだい)に咲(さ)く桜(さくら)が、武家(ぶけ)の古都(こと)に柔(やわ)らかな色彩(しきさい)を添(そ)えていた。
江ノ電(えのでん)に乗(の)って江の島(えのしま)へ向(む)かうと、車窓(しゃそう)のすぐ外(そと)に湘南(しょうなん)の海(うみ)が広(ひろ)がった。古都(こと)の桜(さくら)と青(あお)い海(うみ)。そこには東北(とうほく)や信州(しんしゅう)とはまた違(ちが)う、明(あか)るく伸(の)びやかな春(はる)があった。
散る桜、残る友情
長(なが)い旅(たび)を終(お)え、横浜(よこはま)から東京(とうきょう)へ戻(もど)り、成田空港(なりたくうこう)のターミナルへ向(む)かった。
窓(まど)の外(そと)を眺(なが)めながら、東京(とうきょう)の千鳥ヶ淵(ちどりがふち)、目黒川(めぐろがわ)、上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)、富士五湖(ふじごこ)、高田城(たかだじょう)、上田城(うえだじょう)、松本城(まつもとじょう)、高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)で見(み)た桜(さくら)を思(おも)い返(かえ)した。
桜(さくら)は、満開(まんかい)になった瞬間(しゅんかん)から散(ち)り始(はじ)める。その美(うつく)しさは、永遠(えいえん)に続(つづ)かないからこそ、人(ひと)の心(こころ)を強(つよ)く打(う)つのであろう。
明治時代(めいじじだい)の作家(さっか)・樋口一葉(ひぐちいちよう)は、
「花(はな)は盛(さか)りに、月(つき)は隈(くま)なきをのみ見(み)るものかは」
という『徒然草(つれづれぐさ)』の美意識(びいしき)にも通(つう)じる世界(せかい)を作品(さくひん)の中(なか)に描(えが)いた。美(うつく)しさは、満開(まんかい)の時(とき)だけにあるのではない。咲(さ)く前(まえ)の蕾(つぼみ)にも、散(ち)った後(あと)の花(はな)びらにも、それぞれの趣(おもむき)がある。
一(いっ)か月(げつ)余(あま)りにわたって桜(さくら)を追(お)い続(つづ)けたが、最後(さいご)に心(こころ)に残(のこ)ったのは、桜(さくら)の美(うつく)しさだけではなかった。
国際交流(こくさいこうりゅう)を通(つう)じて知(し)り合(あ)った日本支部(にほんしぶ)の友人(ゆうじん)たちが、各地(かくち)で迎(むか)え、案内(あんない)し、ともに花(はな)を見上(みあ)げてくれた。その友情(ゆうじょう)こそ、この長(なが)い旅(たび)の中(なか)で出会(であ)った、最(もっと)も美(うつく)しく、決(けっ)して散(ち)ることのない「心(こころ)の桜(さくら)」であった。





























































































































































































































































































































































































































































































































