2019年2月12日 星期二

日本瀨戶內海,四國,中國

日本瀨戶內海,四國,中國
岡山》姬路城》明石》明石大橋 (日本最長的吊橋)》淡路島》高知》小豆島》德島》丸龜》今治》松山》吳市》
廣島》嚴島》廣島》尾道》福山》倉敷》岡山

海上有群山,群山皆有故事——悠遊瀨戶內海、四國與中國地方

年輕時,我曾對日文與日本文學懷抱濃厚的興趣。最初幾次到日本旅行,雖然日文已因長久少用而略顯生疏,我仍刻意以日語與當地人溝通,彷彿想藉著一次次交談,重新喚醒記憶中的聲音。然而,聽力始終是最難跨越的一道門檻;語言一旦缺少日常環境的滋養,聽辨能力尤其退步得快,日文也就這樣一年比一年與我疏遠。

後來幾年再到日本,漸漸發現以英文溝通反而更加容易。許多曾經熟悉的日文漢字依然認得,讀音卻像一位久未謀面的故人——明明熟悉的身影仍在記憶深處,一時之間,竟怎麼也喚不出他的名字。

然而,語言或許會因歲月而生疏,對一個國家文化的感情卻未必隨之淡去。日文雖漸行漸遠,我對日本文學、歷史、藝術與生活美學的喜愛,卻從未稍減。直到今日,日本依然是我最喜愛、也最願意一再重遊的旅遊勝地。瀨戶內海也是我最喜愛的日本地區之一。

東京令人看見日本的速度,京都令人讀到日本的歷史;而瀨戶內海、四國與中國地方,則讓我體會日本如何與海洋、島嶼和季節共同生活。這裡沒有東京的喧囂,也少了京都名勝前熙攘的人潮;海面上散布著大大小小的島嶼,渡輪緩緩駛過,山巒與漁村隔水相望。只要放慢腳步,便能看見日本文化更加樸素、深沉的一面。

日本人常以「多島美」形容瀨戶內海:海不是空曠無際的,而是被島嶼、海峽、港灣與漁村切割成無數層次。晨霧之中,島嶼像水墨畫上的遠山;夕陽落下時,海面又如撒滿碎金。這片海既是自然風景,也是古代交通要道。遣唐使、商船、水軍、朝聖者與漁民,都曾在島影之間來往。

因此,瀨戶內海不只是一片海,更是一條流動的文化長廊。

從岡山到姬路:城郭、庭園與武士歲月

岡山是這段旅程最合適的起點。旭川流過城下,黑色外牆的岡山城又稱「烏城」,與附近的岡山後樂園相互映照。後樂園為日本三大名園之一,池泉、草地、茶室與遠山彼此借景。漫步園中,不只是觀賞花木,也是體會日本庭園如何將自然整理成一首可以行走的詩。

岡山也是桃太郎傳說最具代表性的地方之一。車站前的桃太郎雕像,使古老民間故事進入現代城市生活。吉備津神社、吉備津彥神社以及古代吉備文化遺跡,則提醒我們:早在大和政權形成以前,吉備地區已擁有強盛而獨特的地方文化。

再往東行,便到姬路城。白色城牆與層層屋簷在藍天下舒展,宛如白鷺振翅,因此又稱「白鷺城」。它不只是日本最美的城堡之一,也是保存最完整的近世城郭建築。走過曲折的城門、狹窄的通道和重重防禦設施,才明白它的優雅外表之下,隱藏著嚴密的軍事智慧。

值得一併參訪的還有姬路城西側的好古園。園內以城郭遺跡為基礎,分成數座不同風格的庭園。若能在茶室坐下,捧起一碗抹茶,看庭石與流水安靜相對,旅途的節奏也會隨之慢下來。

茶道所說的「一期一會」,正適合旅人:眼前這一席茶、這一片風景、這一次相逢,都不會以完全相同的形式再次出現。

明石海峽與淡路島:跨海而行

從姬路往明石,海的氣息逐漸清晰。明石以漁港、海產與「明石燒」聞名。明石燒外形與章魚燒相似,口感卻更柔軟,通常蘸入清淡高湯食用。一碗熱湯、一枚柔軟的明石燒,看似平凡,卻充滿海港城市的溫度。

橫跨明石海峽的明石海峽大橋,全長3,911公尺,主跨1,991公尺,是日本最長的吊橋,也是世界著名的長跨距吊橋之一。橋身懸在海天之間,遠看如一條銀白色的琴弦;車行其上,腳下是繁忙的海峽,前方則是淡路島。

淡路島在《古事記》和《日本書紀》的「國生神話」中,被視為伊邪那岐與伊邪那美最早創造的島嶼之一。因此,來到淡路島,不只跨越了一座橋,也彷彿跨入日本神話的源頭。

島上的伊弉諾(ㄧ ㄖㄢˇ ㄋㄨㄛˋ)神宮值得參拜;南部還可眺望鳴門海峽與著名的鳴門漩渦。淡路島的洋蔥、海鮮、牛肉與花田,也讓古老神話帶上了真實的人間滋味。

高知:太平洋、龍馬與自由之風

穿越淡路島與德島,向南進入高知,眼前的海便從平靜的瀨戶內海轉為開闊的太平洋。

高知城保存著江戶時代的天守與本丸建築,城下則流傳著幕末志士坂本龍馬的故事。桂濱面向蒼茫太平洋,龍馬像立於高處,遙望海外。對他而言,大海不是日本的邊界,而是走向世界的起點。

坂本龍馬曾說:

「世の人は我を何とも言わば言え。我が成す事は我のみぞ知る。」
世人要如何評論我,就任由他們去說;我要做的事,只有自己最清楚。

這種不畏世俗眼光的氣魄,與高知的海風極為相稱。

高知的文化也充滿豪爽氣息。夏季的夜來祭熱烈奔放;市場裡可品嘗炙燒鰹魚,外層經稻草烈火燒過,內部仍保持鮮紅。火焰、海鹽與魚肉交會,吃的不只是一道料理,也像在品嘗土佐人的性格。

若時間充足,還可前往四萬十川、牧野植物園或仁淀川。清流、山村與森林,使人看見四國不只是海島,也有深邃的山地世界。

小豆島:橄欖、醬油與文學之島

回到瀨戶內海,小豆島像一片漂浮於碧海之上的葉子。這裡以橄欖、醬油、素麵和海岸風光聞名。橄欖園帶有地中海般的明朗氣息,傳統醬油藏則散發出經過歲月發酵的深沉香氣。

小豆島也是壺井榮小說《二十四隻眼睛》的舞臺。故事以一位女教師與十二名學生為中心,從昭和初期一路寫到戰爭歲月。對曾經擔任教師的我而言,那所臨海的小學、孩子們的笑聲以及時代帶來的離散,或許更容易觸動心底。

寒霞溪秋日紅葉滿山,被列為日本代表性的溪谷景觀;天使之路則在退潮時浮出海面,連接幾座小島。那條時隱時現的沙洲,也像人生中的緣分——潮來時各自分離,潮退時又在海上相逢。

德島:漩渦、舞蹈與山中祕境

德島最有名的是鳴門漩渦。潮水在紀伊水道與瀨戶內海之間急速交換,形成大小不一的渦流。站在大鳴門橋上向下俯瞰,海水旋轉翻湧,使人感受到自然力量遠比人類更古老、更巨大。

到了夏季,德島則因阿波舞而沸騰。人們一面舞蹈,一面高唱:

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。」
跳舞的是傻瓜,看舞的也是傻瓜;既然同樣是傻瓜,不跳豈不可惜!

這句話看似詼諧,卻表現出日本庶民文化中放下身分、共同歡樂的一面。

若向德島內陸深入,祖谷溪、蔓橋與大步危、小步危更值得造訪。高山峽谷間的村落與藤蔓吊橋,保存著另一種遠離城市的四國記憶。

丸龜與香川:城、團扇與一碗烏龍麵

進入香川縣,生活的滋味變得簡單而踏實。香川被稱為「烏龍麵縣」,一碗讚岐烏龍麵看似樸素,卻講究麵條的彈性、高湯的層次以及蔥、薑、天婦羅等配料的平衡。

丸龜城築於高聳石垣之上,是日本現存十二天守之一。從城上眺望,讚岐平原、飯野山與瀨戶內海盡收眼底。丸龜也以團扇聞名,竹骨、和紙與手工編製,將日用品變成了地方藝術。

若時間允許,可再前往高松的栗林公園。園中一步一景,紫雲山成為庭園的天然背景;在掬月亭品一碗抹茶,水面、松影與茶香便共同構成瀨戶內最安靜的時刻。

藝術愛好者還可加入直島、豐島與犬島。昔日的工業島嶼,如今因建築、雕塑與現代藝術重新獲得生命,形成瀨戶內國際藝術祭的核心。古老漁村與當代藝術並存,正是瀨戶內海最令人驚喜的新面貌。

今治與島波海道:在島嶼之間前進

今治是造船、毛巾與海上交通之城,也是島波海道的重要入口。道路與橋梁將今治、尾道及沿途島嶼串聯起來,騎自行車越過一座又一座跨海大橋,已成為體驗瀨戶內海最美的方式之一。

海面看似平靜,島與島之間的潮流卻十分複雜。中世紀的村上海賊熟悉航路、潮汐與島嶼地形,曾掌握瀨戶內海的重要交通。今日參觀村上海賊博物館,會發現他們並非只是一般所說的「海盜」,也具有護航、管理航道與維持海上秩序的作用。

今治城則是一座著名的海城,護城河引入海水。潮汐進退之間,城郭與海洋連成一體。

松山:溫泉、俳句與《少爺》

松山是一座具有文學氣息的城市。道後溫泉的木造建築、狹窄街道與浴衣人影,使人彷彿走入夏目漱石《少爺》的時代。

《少爺》開頭寫道:

「親譲りの無鉄砲で、子供の時から損ばかりしている。」
我生來承襲父母的莽撞,從小就總是吃虧。

這位率直、急躁而富有正義感的年輕教師,被派到四國任教,與地方社會發生一連串衝突。小說帶有諷刺與幽默,也使松山成為日本近代文學地圖上的重要城市。

松山同時是俳人正岡子規的故鄉。「子規」這個號來自杜鵑,相傳杜鵑啼至吐血;正岡子規長年受肺結核折磨,仍以短暫生命革新俳句與短歌。

登上松山城,可俯瞰市街與瀨戶內海;走入道後溫泉,則可在熱氣中感受千年湯治文化。若想尋找更安靜的地方,可以參訪石手寺、伊佐爾波神社、子規紀念博物館,以及陶瓷之鄉砥部。

在溫泉旅館喝一杯茶,吃一枚帶有柑橘香氣的和菓子,旅途便從「觀看名勝」逐漸轉為「體會生活」。

吳市與廣島:從戰爭記憶走向和平

渡過瀨戶內海來到吳市,景色忽然帶上近代工業與海軍歷史的重量。吳曾是日本重要的海軍基地與造船城市,戰艦「大和號」便在此建造。今日的大和博物館展示造船技術、軍港歷史與戰爭記憶;附近海上自衛隊吳史料館展示潛艇與掃雷工作。吳市至今仍以造船、鋼鐵及大和號歷史著稱

參觀這些地方,不應只驚嘆武器與工程,而應進一步思考:人類卓越的技術,究竟應用於破壞,還是用於改善生命?

來到廣島,這個問題顯得更加沉重。

原爆圓頂館、和平紀念公園與資料館,保存的不是抽象歷史,而是無數普通人的生命。廣島最值得尊敬之處,不只是承受過災難,更在於它沒有讓仇恨成為城市的結論,而是努力向世界傳達和平、理解與廢除核武的願望。

河水依舊流過,路面電車依舊穿行,廣島燒的香氣仍從街角升起。生活沒有遺忘歷史,而是在歷史之上,重新長出日常。

嚴島:海上鳥居與神佛之境

從廣島乘船前往宮島,遠遠便可望見嚴島神社的朱紅色大鳥居立於海中。漲潮時,神社彷彿漂浮於海面;退潮後,人們可以走近鳥居,觀看海水曾經留下的痕跡。

自古以來,整座彌山被視為神聖之地,人們不願直接在島上大規模興建,因而將社殿建在海岸潮間帶。建築、潮汐、山林與信仰融為一體,形成日本文化中「人不凌駕自然,而與自然共存」的景象。

除了嚴島神社,也應登上彌山,參訪大聖院,或在紅葉谷公園散步。秋日楓紅映著朱色社殿,鹿群從石燈籠旁緩緩走過,宮島便如一幅活著的古畫。嚴島神社的海上大鳥居,是瀨戶內海最具代表性的文化景觀之一

尾道:坡道、寺院與望得見海的城市

尾道大概是瀨戶內海最富文學氣息的城市之一。山坡、石階、寺院、鐵路、老屋與港口層層相疊。走在坡道上,偶爾有貓從屋簷下穿過;再抬頭,便能看見船隻在狹長尾道水道中緩緩行駛。

作家林芙美子在《放浪記》中寫道:

「海が見えた。海が見える。五年ぶりに見る尾道の海はなつかしい。」
看見海了。海就在眼前。相隔五年再見到尾道的海,令人如此懷念。

這句話使尾道不只是一處風景,也成為漂泊者心中的歸宿。

可以沿「古寺巡禮」走訪千光寺、天寧寺與西國寺,再到千光寺公園俯瞰港灣。尾道也是電影導演大林宣彥的故鄉,許多作品以此為背景,因此又有「電影之城」之稱。

從尾道出發,還可以走上島波海道,經向島、因島、生口島等島嶼一路前往今治。若在生口島停留,值得參訪耕三寺及平山郁夫美術館。

福山與鞆之浦:等待潮汐的港口

福山有福山城,附近的鞆之浦(ㄅㄧㄥˇ ㄓ ㄆㄨˇ)則是瀨戶內海保存完整的古老港町。過去帆船必須等待合適潮流才能繼續航行,因此鞆之浦被稱為「等待潮汐的港口」。

常夜燈、雁木碼頭、狹窄巷弄與臨海町家,仍保留江戶時代港口的氣息。坂本龍馬所乘的伊呂波丸曾在附近海域沉沒,留下明治維新前夕的一段歷史。

站在港邊,看船隻隨潮水進退,便會明白:古人的旅行不能只計算時間,也必須聽從風向與海流。這種等待,在現代生活中已顯得格外珍貴。

倉敷:白壁、運河與商人文化

旅程最後來到倉敷。倉敷美觀地區的白壁倉庫、黑色燒杉板、柳樹與運河,保存著江戶時代以來的商業城市風貌。過去的倉庫用來儲存稻米與貨物,如今則轉化為博物館、藝廊、旅館與工藝店。

大原美術館尤其值得參訪。它是日本早期以西方美術為主的重要私人美術館,收藏艾爾・葛雷柯、莫內、馬蒂斯等人的作品。這座博物館也說明了地方商人並不只累積財富,更願意以財富支持教育、藝術與公共文化。

這正是日本町人文化的延續:把美感帶入商業、住宅、器物與日常生活。

可在運河旁尋一間老町家改建的茶屋,喝一杯煎茶或抹茶。備前燒茶碗表面粗獷,沒有華麗釉色,掌中卻能感覺土與火留下的痕跡。日本茶文化真正動人的地方,往往不在繁複儀式,而在提醒人放慢動作,專心看水、聽風、捧住眼前的一碗茶。

在海與島之間,更深地理解日本

從岡山、姬路、明石與淡路島,到高知、小豆島、德島、丸龜、今治與松山;再渡海前往吳市、廣島、嚴島、尾道、福山與倉敷,這趟旅程跨越了關西、四國與中國地方,也穿過神話、武士、文學、戰爭、宗教與庶民生活。

我喜歡的,不只是姬路城的白、嚴島鳥居的紅,也不只是道後溫泉的熱氣與倉敷運河的柳影。我更喜歡那些藏在風景背後的日本:漁民對潮汐的熟悉、工匠對器物的堅持、茶人對一碗茶的專注,以及戰爭之後對和平的珍惜。

世阿彌在《風姿花傳》中說:

「秘すれば花。」
正因有所含藏,才成其為花。

瀨戶內海的美,正是一種不完全顯露的美。它不急著向旅人展示一切,只把島影、潮聲、寺院鐘聲與茶香,悄悄藏在途中。唯有願意慢慢行走、靜靜觀看的人,才能一層一層發現。

如今,我的日文雖已不如年輕時熟練,但每當看見「岡山」、「松山」、「尾道」、「倉敷」這些站名,沉睡的讀音仍會在心中甦醒。原來,我疏遠的只是語言的熟練,從未失去感受日本文化的心。

瀨戶內海像一本攤開在海上的書。島嶼是章節,橋梁是句子,渡輪則是翻動書頁的手。

而我願意一次又一次回到這裡,在潮聲與茶香之間,繼續閱讀日本,也重新閱讀自己。


Chat

海(うみ)に島々(しまじま)が浮(う)かび、島(しま)には物語(ものがたり)がある

瀬戸内海(せとないかい)・四国(しこく)・中国地方(ちゅうごくちほう)を巡(めぐ)る旅(たび)

若(わか)い頃(ころ)、私(わたし)は日本語(にほんご)と日本文学(にほんぶんがく)に深(ふか)い興味(きょうみ)を抱(いだ)いていた。

初(はじ)めて日本(にほん)を旅(たび)した頃(ころ)は、長(なが)い間(あいだ)使(つか)わなかったため、日本語(にほんご)はすでに少(すこ)しずつ錆(さ)びつき始(はじ)めていた。それでも、記憶(きおく)の中(なか)に眠(ねむ)っている言葉(ことば)の響(ひび)きを呼(よ)び覚(さ)ましたいと思(おも)い、あえて日本語(にほんご)で現地(げんち)の人々(ひとびと)と話(はな)すようにしていた。

しかし、聞(き)き取(と)りはいつも、私(わたし)にとって最(もっと)も越(こ)えにくい壁(かべ)だった。日常的(にちじょうてき)に言葉(ことば)を聞(き)く環境(かんきょう)から離(はな)れると、聴解力(ちょうかいりょく)は会話力(かいわりょく)以上(いじょう)に早(はや)く衰(おとろ)えてしまう。そうして私(わたし)の日本語(にほんご)は、年(とし)を追(お)うごとに少(すこ)しずつ遠(とお)い存在(そんざい)になっていった。

その後(ご)、何度(なんど)か日本(にほん)を訪(おとず)れるうちに、英語(えいご)で話(はな)すほうが、むしろ楽(らく)に意思(いし)を伝(つた)えられることに気(き)づいた。かつて親(した)しんだ漢字(かんじ)は今(いま)も見覚(みおぼ)えがあるのに、その読(よ)み方(かた)は、長(なが)い間(あいだ)会(あ)っていない旧友(きゅうゆう)のようである。懐(なつ)かしい面影(おもかげ)は確(たし)かに記憶(きおく)の奥(おく)に残(のこ)っているのに、いざ呼(よ)びかけようとすると、どうしてもその名前(なまえ)が出(で)てこない。

けれども、言葉(ことば)は歳月(さいげつ)とともに遠(とお)ざかっても、一(ひと)つの国(くに)の文化(ぶんか)に寄(よ)せる思(おも)いまで薄(うす)れるとは限(かぎ)らない。

日本語(にほんご)は次第(しだい)に私(わたし)から遠(とお)ざかっていったが、日本文学(にほんぶんがく)、歴史(れきし)、芸術(げいじゅつ)、そして暮(く)らしの中(なか)に息(いき)づく美意識(びいしき)への憧(あこが)れは、少(すこ)しも変(か)わることがなかった。

今(いま)でも日本(にほん)は、私(わたし)が最(もっと)も愛(あい)し、何度(なんど)でも訪(おとず)れたいと思(おも)う旅(たび)の地(ち)なのである。それでも、日本文化(にほんぶんか)を愛(あい)する気持(きも)ちは、少(すこ)しも薄(うす)れなかった。京都(きょうと)とともに、瀬戸内海(せとないかい)は今(いま)も私(わたし)が最(もっと)も愛(あい)する日本(にほん)の地域(ちいき)の一(ひと)つである。

東京(とうきょう)は日本(にほん)の速(はや)さを見(み)せ、京都(きょうと)は日本(にほん)の歴史(れきし)を語(かた)る。そして瀬戸内海(せとないかい)、四国(しこく)、中国地方(ちゅうごくちほう)は、日本人(にほんじん)が海(うみ)や島(しま)、季節(きせつ)とともに、どのように暮(く)らしてきたかを教(おし)えてくれる。

瀬戸内海(せとないかい)には、大小(だいしょう)さまざまな島(しま)が浮(う)かんでいる。朝霧(あさぎり)の中(なか)の島影(しまかげ)は水墨画(すいぼくが)の遠山(とおやま)のようであり、夕日(ゆうひ)が沈(しず)む頃(ころ)には、海面(かいめん)に金色(きんいろ)の光(ひかり)が散(ち)りばめられる。

この海(うみ)は単(たん)なる風景(ふうけい)ではない。古代(こだい)の使節(しせつ)、商船(しょうせん)、水軍(すいぐん)、巡礼者(じゅんれいしゃ)、漁師(りょうし)たちが行(い)き交(か)った、流(なが)れる文化(ぶんか)の回廊(かいろう)なのである。

岡山(おかやま)から姫路(ひめじ)へ

旅(たび)は岡山(おかやま)から始(はじ)まる。黒(くろ)い外壁(がいへき)を持(も)つ岡山城(おかやまじょう)は、「烏城(うじょう)」とも呼(よ)ばれる。その近(ちか)くには、日本三名園(にほんさんめいえん)の一(ひと)つ、岡山後楽園(おかやまこうらくえん)がある。

池(いけ)、芝生(しばふ)、茶室(ちゃしつ)、築山(つきやま)と遠(とお)くの景色(けしき)が一(ひと)つに結(むす)ばれ、庭園(ていえん)そのものが歩(ある)いて読(よ)む詩(し)のようである。

岡山(おかやま)は桃太郎(ももたろう)伝説(でんせつ)でも知(し)られている。吉備津神社(きびつじんじゃ)や吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)を訪(たず)ねれば、古代吉備国(こだいきびのくに)の歴史(れきし)にも触(ふ)れることができる。

東(ひがし)へ進(すす)むと、姫路城(ひめじじょう)が見(み)えてくる。白(しろ)い城壁(じょうへき)と幾重(いくえ)にも重(かさ)なる屋根(やね)は、白鷺(しらさぎ)が翼(つばさ)を広(ひろ)げたように見(み)えるため、「白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)」と呼(よ)ばれる。

その美(うつく)しい姿(すがた)の奥(おく)には、曲(ま)がりくねった通路(つうろ)、狭(せま)い門(もん)、石垣(いしがき)など、城(しろ)を守(まも)るための知恵(ちえ)が隠(かく)されている。

西側(にしがわ)の好古園(こうこえん)も訪(たず)ねたい。茶室(ちゃしつ)で抹茶(まっちゃ)をいただきながら、庭石(にわいし)と水(みず)の流(なが)れを眺(なが)めれば、旅(たび)の時間(じかん)はゆっくりと流(なが)れ始(はじ)める。

茶道(さどう)の「一期一会(いちごいちえ)」という言葉(ことば)は、旅人(たびびと)のためにあるように思(おも)える。今(いま)の一服(いっぷく)の茶(ちゃ)、目(め)の前(まえ)の景色(けしき)、そして一度(いちど)の出会(であ)いは、決(けっ)して同(おな)じ形(かたち)では戻(もど)ってこない。

明石(あかし)と淡路島(あわじしま)

明石(あかし)は漁港(ぎょこう)と海産物(かいさんぶつ)、そして明石焼(あかしやき)で知(し)られる。柔(やわ)らかい明石焼(あかしやき)を温(あたた)かい出汁(だし)につけて食(た)べると、港町(みなとまち)の素朴(そぼく)な温(ぬく)もりが感(かん)じられる。

明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし)は、全長(ぜんちょう)三千九百十一(さんぜんきゅうひゃくじゅういち)メートル、中央支間(ちゅうおうしかん)千九百九十一(せんきゅうひゃくきゅうじゅういち)メートルを持(も)つ、日本最長(にほんさいちょう)の吊橋(つりばし)である。

海(うみ)と空(そら)の間(あいだ)に架(か)かる橋(はし)は、銀色(ぎんいろ)の琴(こと)の弦(げん)のように見(み)える。橋(はし)を渡(わた)れば、淡路島(あわじしま)に入(はい)る。

『古事記(こじき)』と『日本書紀(にほんしょき)』の国生(くにう)み神話(しんわ)では、淡路島(あわじしま)は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が最初(さいしょ)に生(う)み出(だ)した島(しま)の一(ひと)つとされる。

伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を参拝(さんぱい)し、南(みなみ)へ進(すす)めば、鳴門海峡(なるとかいきょう)と鳴門(なると)の渦潮(うずしお)が待(ま)っている。

高知(こうち)――太平洋(たいへいよう)と坂本龍馬(さかもとりょうま)

高知(こうち)に着(つ)くと、穏(おだ)やかな瀬戸内海(せとないかい)とは異(こと)なる、広(ひろ)く力強(ちからづよ)い太平洋(たいへいよう)が目(め)の前(まえ)に広(ひろ)がる。

高知城(こうちじょう)には江戸時代(えどじだい)の天守(てんしゅ)と本丸御殿(ほんまるごてん)が残(のこ)る。桂浜(かつらはま)では、坂本龍馬(さかもとりょうま)の像(ぞう)が太平洋(たいへいよう)の彼方(かなた)を見(み)つめている。

龍馬(りょうま)にとって、海(うみ)は日本(にほん)の終(お)わりではなく、世界(せかい)への入口(いりぐち)だった。

世(よ)の人(ひと)は我(われ)を何(なん)とも言(い)わば言(い)え。
我(わ)が成(な)す事(こと)は我(われ)のみぞ知(し)る。

高知(こうち)の名物(めいぶつ)である鰹(かつお)の藁焼(わらや)きは、激(はげ)しい炎(ほのお)で表面(ひょうめん)を焼(や)き、内側(うちがわ)の鮮(あざ)やかな赤身(あかみ)を残(のこ)す。火(ひ)と海(うみ)の味(あじ)が重(かさ)なった、土佐(とさ)らしい豪快(ごうかい)な料理(りょうり)である。

時間(じかん)があれば、四万十川(しまんとがわ)、仁淀川(によどがわ)、牧野植物園(まきのしょくぶつえん)も訪(たず)ねたい。

小豆島(しょうどしま)――文学(ぶんがく)とオリーブの島(しま)

小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海(せとないかい)に浮(う)かぶ一枚(いちまい)の葉(は)のようである。オリーブ、醤油(しょうゆ)、素麺(そうめん)、そして美(うつく)しい海岸(かいがん)で知(し)られている。

ここは壺井栄(つぼいさかえ)の小説(しょうせつ)『二十四(にじゅうし)の瞳(ひとみ)』の舞台(ぶたい)でもある。一人(ひとり)の女性教師(じょせいきょうし)と十二人(じゅうににん)の子供(こども)たちを通(とお)して、昭和(しょうわ)の暮(く)らしと戦争(せんそう)がもたらした別(わか)れが描(えが)かれている。

教師(きょうし)として長(なが)く生(い)きてきた私(わたし)にとって、海辺(うみべ)の学校(がっこう)と子供(こども)たちの物語(ものがたり)は、特別(とくべつ)な意味(いみ)を持(も)つ。

寒霞渓(かんかけい)では山(やま)と渓谷(けいこく)の美(うつく)しさを味(あじ)わい、干潮(かんちょう)の時(とき)にはエンジェルロードを歩(ある)くことができる。潮(しお)が引(ひ)いた時(とき)だけ現(あらわ)れる道(みち)は、離(はな)れていた人々(ひとびと)を再(ふたた)び結(むす)ぶ縁(えん)のようである。

徳島(とくしま)――渦潮(うずしお)と阿波踊(あわおど)り

徳島(とくしま)では、鳴門(なると)の渦潮(うずしお)が自然(しぜん)の力(ちから)を見(み)せる。潮(しお)が紀伊水道(きいすいどう)と瀬戸内海(せとないかい)の間(あいだ)を移動(いどう)するとき、大(おお)きな渦(うず)が生(う)まれる。

夏(なつ)になると、徳島(とくしま)の町(まち)は阿波踊(あわおど)りの熱気(ねっき)に包(つつ)まれる。

踊(おど)る阿呆(あほう)に見(み)る阿呆(あほう)、
同(おな)じ阿呆(あほう)なら踊(おど)らにゃ損々(そんそん)。

この言葉(ことば)には、身分(みぶん)や立場(たちば)を忘(わす)れ、皆(みな)で楽(たの)しむ庶民文化(しょみんぶんか)の明(あか)るさがある。

山間部(さんかんぶ)へ入(はい)れば、祖谷渓(いやけい)、祖谷(いや)の蔓橋(かずらばし)、大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)がある。深(ふか)い峡谷(きょうこく)と山村(さんそん)は、海辺(うみべ)とは異(こと)なる四国(しこく)の姿(すがた)を見(み)せてくれる。

丸亀(まるがめ)と香川(かがわ)

香川県(かがわけん)では、讃岐(さぬき)うどんを味(あじ)わいたい。簡素(かんそ)な一杯(いっぱい)に見(み)えても、麺(めん)の弾力(だんりょく)、出汁(だし)の香(かお)り、薬味(やくみ)の組(く)み合(あ)わせには、長(なが)い土地(とち)の知恵(ちえ)が込(こ)められている。

丸亀城(まるがめじょう)は高(たか)い石垣(いしがき)の上(うえ)に立(た)つ。天守(てんしゅ)からは讃岐平野(さぬきへいや)と瀬戸内海(せとないかい)を望(のぞ)むことができる。

丸亀(まるがめ)は団扇(うちわ)の町(まち)としても知(し)られる。竹(たけ)と和紙(わし)を使(つか)い、生活(せいかつ)の道具(どうぐ)を美(うつく)しい工芸品(こうげいひん)へ変(か)えてきた。

高松(たかまつ)の栗林公園(りつりんこうえん)では、掬月亭(きくげつてい)で抹茶(まっちゃ)を味(あじ)わいたい。水面(すいめん)、松(まつ)の影(かげ)、茶(ちゃ)の香(かお)りが一(ひと)つになり、瀬戸内(せとうち)の静(しず)かな時間(じかん)が生(う)まれる。

さらに直島(なおしま)、豊島(てしま)、犬島(いぬじま)を訪(たず)ねれば、昔(むかし)の漁村(ぎょそん)や産業遺産(さんぎょういさん)と現代美術(げんだいびじゅつ)が共存(きょうぞん)する、新(あたら)しい瀬戸内文化(せとうちぶんか)に出会(であ)える。

今治(いまばり)としまなみ海道(かいどう)

今治(いまばり)は造船(ぞうせん)、タオル、海上交通(かいじょうこうつう)の町(まち)であり、しまなみ海道(かいどう)の四国側(しこくがわ)の入口(いりぐち)でもある。

橋(はし)を渡(わた)りながら島(しま)から島(しま)へ自転車(じてんしゃ)で進(すす)むことは、瀬戸内海(せとないかい)を身体(からだ)で感(かん)じる最(もっと)も美(うつく)しい方法(ほうほう)の一(ひと)つである。

中世(ちゅうせい)には村上海賊(むらかみかいぞく)が、この海(うみ)の潮流(ちょうりゅう)と航路(こうろ)を支配(しはい)していた。彼(かれ)らは単(たん)なる海賊(かいぞく)ではなく、船(ふね)を案内(あんない)し、海(うみ)の安全(あんぜん)と秩序(ちつじょ)を守(まも)る役割(やくわり)も果(は)たしていた。

今治城(いまばりじょう)は、堀(ほり)に海水(かいすい)を引(ひ)き入(い)れた海城(うみじろ)として知(し)られている。

松山(まつやま)――温泉(おんせん)と文学(ぶんがく)

松山(まつやま)は文学(ぶんがく)の香(かお)りを持(も)つ町(まち)である。道後温泉(どうごおんせん)の木造建築(もくぞうけんちく)、細(ほそ)い路地(ろじ)、浴衣姿(ゆかたすがた)の人々(ひとびと)を見ると、夏目漱石(なつめそうせき)の『坊(ぼ)っちゃん』の時代(じだい)へ入(はい)ったように感(かん)じる。

小説(しょうせつ)は、次(つぎ)の一文(いちぶん)で始(はじ)まる。

親譲(おやゆず)りの無鉄砲(むてっぽう)で、
子供(こども)の時(とき)から損(そん)ばかりしている。

松山(まつやま)は俳人(はいじん)・正岡子規(まさおかしき)の故郷(ふるさと)でもある。病(やまい)に苦(くる)しみながらも、子規(しき)は俳句(はいく)と短歌(たんか)に新(あたら)しい生命(せいめい)を与(あた)えた。

松山城(まつやまじょう)、石手寺(いしてじ)、伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)、子規記念博物館(しききねんはくぶつかん)も訪(たず)ねたい。

温泉旅館(おんせんりょかん)で一杯(いっぱい)の茶(ちゃ)を飲(の)み、愛媛(えひめ)の柑橘(かんきつ)を使(つか)った菓子(かし)を味(あじ)わう。その時(とき)、旅(たび)は名所(めいしょ)を見ることから、土地(とち)の暮(く)らしを感(かん)じることへと変(か)わっていく。

呉(くれ)と広島(ひろしま)

呉市(くれし)は、造船(ぞうせん)と海軍(かいぐん)の歴史(れきし)を持(も)つ町(まち)である。戦艦大和(せんかんやまと)は、ここで建造(けんぞう)された。

大和(やまと)ミュージアムでは、造船技術(ぞうせんぎじゅつ)と軍港(ぐんこう)の歴史(れきし)を学(まな)ぶことができる。しかし、武器(ぶき)の大(おお)きさや技術(ぎじゅつ)だけに驚(おどろ)くのではなく、人間(にんげん)の優(すぐ)れた知恵(ちえ)を破壊(はかい)に使(つか)うのか、それとも生命(せいめい)のために使(つか)うのかを考(かんが)えなければならない。

広島(ひろしま)では、その問(と)いがさらに重(おも)くなる。

原爆(げんばく)ドーム、平和記念公園(へいわきねんこうえん)、平和記念資料館(へいわきねんしりょうかん)が伝(つた)えるのは、抽象的(ちゅうしょうてき)な歴史(れきし)ではなく、数多(かずおお)くの普通(ふつう)の人々(ひとびと)の生命(せいめい)である。

広島(ひろしま)の尊(とうと)さは、悲劇(ひげき)を経験(けいけん)したことだけではない。憎(にく)しみを町(まち)の結論(けつろん)とせず、世界(せかい)に平和(へいわ)と理解(りかい)を訴(うった)え続(つづ)けていることにある。

川(かわ)は今(いま)も流(なが)れ、路面電車(ろめんでんしゃ)は町(まち)を走(はし)る。広島(ひろしま)のお好(この)み焼(や)きの香(かお)りも、街角(まちかど)から立(た)ち上(のぼ)る。生活(せいかつ)は歴史(れきし)を忘(わす)れず、その上(うえ)に新(あたら)しい日常(にちじょう)を築(きず)いている。

宮島(みやじま)と厳島神社(いつくしまじんじゃ)

広島(ひろしま)から船(ふね)に乗(の)り、宮島(みやじま)へ向(む)かう。遠(とお)くから厳島神社(いつくしまじんじゃ)の朱色(しゅいろ)の大鳥居(おおとりい)が見(み)えてくる。

満潮(まんちょう)の時(とき)、社殿(しゃでん)は海(うみ)に浮(う)かんでいるように見(み)える。干潮(かんちょう)になると、人々(ひとびと)は鳥居(とりい)の近(ちか)くまで歩(ある)くことができる。

古(ふる)くから弥山(みせん)全体(ぜんたい)が神聖(しんせい)な場所(ばしょ)と考(かんが)えられてきた。社殿(しゃでん)、海(うみ)、潮(しお)、山林(さんりん)が一(ひと)つになり、人間(にんげん)が自然(しぜん)を支配(しはい)するのではなく、自然(しぜん)とともに生(い)きる日本文化(にほんぶんか)の姿(すがた)を示(しめ)している。

大聖院(だいしょういん)、紅葉谷公園(もみじだにこうえん)、弥山(みせん)も、ぜひ訪(たず)ねたい。

尾道(おのみち)――海(うみ)の見(み)える坂(さか)の町(まち)

尾道(おのみち)は、瀬戸内海(せとないかい)の中(なか)でも特(とく)に文学的(ぶんがくてき)な町(まち)である。坂道(さかみち)、石段(いしだん)、寺(てら)、鉄道(てつどう)、古(ふる)い家(いえ)、港(みなと)が幾重(いくえ)にも重(かさ)なっている。

坂(さか)を歩(ある)いていると、猫(ねこ)が屋根(やね)の下(した)を横切(よこぎ)る。顔(かお)を上(あ)げると、尾道水道(おのみちすいどう)を船(ふね)が静(しず)かに進(すす)んでいる。

林芙美子(はやしふみこ)は『放浪記(ほうろうき)』に書(か)いた。

海(うみ)が見(み)えた。海(うみ)が見(み)える。
五年(ごねん)ぶりに見(み)る尾道(おのみち)の海(うみ)はなつかしい。

千光寺(せんこうじ)、天寧寺(てんねいじ)、西國寺(さいこくじ)を巡(めぐ)り、千光寺公園(せんこうじこうえん)から港(みなと)を眺(なが)めれば、尾道(おのみち)が多(おお)くの作家(さっか)や映画監督(えいがかんとく)を引(ひ)きつけた理由(りゆう)が分(わ)かる。

福山(ふくやま)と鞆(とも)の浦(うら)

福山城(ふくやまじょう)から少(すこ)し足(あし)を延(の)ばすと、古(ふる)い港町(みなとまち)・鞆の浦(とものうら)がある。

昔(むかし)の帆船(はんせん)は、潮(しお)と風(かぜ)が変(か)わるのを待(ま)たなければ航海(こうかい)を続(つづ)けられなかった。そのため、鞆の浦(とものうら)は「潮待(しおま)ちの港(みなと)」と呼(よ)ばれた。

常夜灯(じょうやとう)、雁木(がんぎ)、古(ふる)い町家(まちや)、狭(せま)い路地(ろじ)には、江戸時代(えどじだい)の港(みなと)の面影(おもかげ)が残(のこ)っている。

海辺(うみべ)に立(た)ち、潮(しお)の満(み)ち引(ひ)きを眺(なが)めていると、昔(むかし)の旅人(たびびと)は時間(じかん)だけでなく、自然(しぜん)の声(こえ)に従(したが)って旅(たび)をしていたことが分(わ)かる。

倉敷(くらしき)――白壁(しらかべ)と運河(うんが)

旅(たび)の終(お)わりに、倉敷(くらしき)を訪(たず)ねる。

倉敷美観地区(くらしきびかんちく)には、白壁(しらかべ)の蔵(くら)、黒(くろ)い焼杉板(やきすぎいた)、柳(やなぎ)、運河(うんが)が残(のこ)っている。かつて米(こめ)や商品(しょうひん)を保管(ほかん)した倉庫(そうこ)は、現在(げんざい)、美術館(びじゅつかん)、工芸店(こうげいてん)、旅館(りょかん)、喫茶店(きっさてん)として使(つか)われている。

大原美術館(おおはらびじゅつかん)には、エル・グレコ、モネ、マティスなどの西洋美術(せいようびじゅつ)が収蔵(しゅうぞう)されている。地方(ちほう)の商人(しょうにん)が財産(ざいさん)を自分(じぶん)のためだけに使(つか)わず、芸術(げいじゅつ)と公共文化(こうきょうぶんか)のために役立(やくだ)てたことを伝(つた)える場所(ばしょ)でもある。

運河(うんが)のそばの町家(まちや)で、煎茶(せんちゃ)か抹茶(まっちゃ)を一服(いっぷく)いただく。備前焼(びぜんやき)の茶碗(ちゃわん)には華(はな)やかな釉薬(ゆうやく)はないが、手(て)の中(なか)に土(つち)と火(ひ)の記憶(きおく)が残(のこ)っている。

日本(にほん)の茶文化(ちゃぶんか)の本当(ほんとう)の魅力(みりょく)は、複雑(ふくざつ)な作法(さほう)だけではない。動作(どうさ)をゆっくりにし、水(みず)を見(み)て、風(かぜ)を聞(き)き、今(いま)の一碗(いちわん)に心(こころ)を集中(しゅうちゅう)させることにある。

海(うみ)と島(しま)の間(あいだ)で、日本(にほん)を深(ふか)く知(し)る

岡山(おかやま)、姫路(ひめじ)、明石(あかし)、淡路島(あわじしま)から、高知(こうち)、小豆島(しょうどしま)、徳島(とくしま)、丸亀(まるがめ)、今治(いまばり)、松山(まつやま)へ。そして海(うみ)を渡(わた)り、呉(くれ)、広島(ひろしま)、宮島(みやじま)、尾道(おのみち)、福山(ふくやま)、倉敷(くらしき)へ戻(もど)る。

この旅(たび)は、関西(かんさい)、四国(しこく)、中国地方(ちゅうごくちほう)を巡(めぐ)るだけではない。神話(しんわ)、武士(ぶし)、文学(ぶんがく)、戦争(せんそう)、信仰(しんこう)、庶民(しょみん)の暮(く)らしを通(とお)り抜(ぬ)ける旅(たび)でもある。

私(わたし)が愛(あい)するのは、姫路城(ひめじじょう)の白(しろ)、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の鳥居(とりい)の朱(あか)だけではない。道後温泉(どうごおんせん)の湯気(ゆげ)や、倉敷(くらしき)の柳(やなぎ)の影(かげ)だけでもない。

潮(しお)を読(よ)む漁師(りょうし)、一(ひと)つの器(うつわ)を作(つく)り続(つづ)ける職人(しょくにん)、一碗(いちわん)の茶(ちゃ)に心(こころ)を込(こ)める茶人(ちゃじん)、そして戦争(せんそう)の記憶(きおく)から平和(へいわ)を願(ねが)う人々(ひとびと)。そのような風景(ふうけい)の奥(おく)にある日本(にほん)を、私(わたし)は愛(あい)している。

世阿弥(ぜあみ)は『風姿花伝(ふうしかでん)』に書(か)いた。

秘(ひ)すれば花(はな)。

隠(かく)されているからこそ、花(はな)となる。

瀬戸内海(せとないかい)の美(うつく)しさも、すべてを一度(いちど)には見(み)せない。島影(しまかげ)、潮(しお)の音(おと)、寺(てら)の鐘(かね)、一服(いっぷく)の茶(ちゃ)の香(かお)りを、旅(たび)の途中(とちゅう)にそっと隠(かく)している。

ゆっくり歩(ある)き、静(しず)かに見(み)る人(ひと)だけが、その美(うつく)しさを一(ひと)つずつ発見(はっけん)できるのである。

今(いま)、私(わたし)の日本語(にほんご)は若(わか)い頃(ころ)ほど流暢(りゅうちょう)ではない。それでも、「岡山(おかやま)」「松山(まつやま)」「尾道(おのみち)」「倉敷(くらしき)」という駅名(えきめい)を見(み)ると、長(なが)く眠(ねむ)っていた日本語(にほんご)の音(おと)が、心(こころ)の中(なか)で再(ふたた)び目(め)を覚(さ)ます。

私(わたし)が失(うしな)ったのは、言葉(ことば)の熟練(じゅくれん)だけなのかもしれない。日本文化(にほんぶんか)を感(かん)じる心(こころ)は、決(けっ)して失(うしな)われていなかった。

瀬戸内海(せとないかい)は、海(うみ)の上(うえ)に開(ひら)かれた一冊(いっさつ)の本(ほん)のようである。

島(しま)は章(しょう)であり、橋(はし)は文章(ぶんしょう)であり、渡(わた)し船(ぶね)は頁(ページ)をめくる手(て)である。

私(わたし)はこれからも、潮(しお)の音(おと)と茶(ちゃ)の香(かお)りの中(なか)で、日本(にほん)を読(よ)み、同時(どうじ)に自分自身(じぶんじしん)を読(よ)み続(つづ)けたい。


 瀬戸内海せとないかいめんし、四国しこく本州ほんしゅうむす関口げんかんぐちとして、また桃太郎伝説ももたろうでんせつのことしてもられている岡山県おかやまけんは、全国ぜんこくでも快晴かいせいおおく、「れのくに」としてしたしまれており、旅行りょこう観光かんこう最適さいてきエリアえりあです。江戸時代えどじだい天領てんりょうとしてさかえた町並まちなみをのこす「倉敷美観地区くらしきびかんちく」や、日本三大庭園にほんさんだいていえんのひとつである「岡山後楽園おかやまこうらくえん」など落ちいた歴史れきしスポットすぽっとおおく、ゆっくりと街歩まちあるきをするたびもおすすめです。










小豆島小豆島橄欖公園的希臘造型風車

魔法(まほう)のほうき」とギリシャ()風車(ふうしゃ)

日本(にほん)夕陽百選(ゆうひ ひゃくせん)(うつく)しい夕陽(ゆうひ)瀬戸内海(せとないかい)一望( いちぼう)できる
高松港瀨戶內海跳島旅行,從高松港出發
大人往復(おとなおうふく1,760760えん
四国(しこく)(うみ)玄関口(げんかんぐち
日本最古(にほんさいこ)オリ(おり)()
香川県(かがわけん)にある「小豆島(しょうどしま)」は、瀬戸内海(せとないかい)では路島(あわじしま)(つづ)いて2()番目(ばんめ)(おお)きさ。エンジェルロ(えんじぇるろ)()オリ(おり)()公園(こうえん)二十四(にじゅうよん)瞳映画村(ひとみえいがむら)など、島内(とうない)主要観光(しゅようかんこう)スポット(すぽっと)効率(こうりつ)よく(まわ)るならレンタカ(れんたか)ーを()りるのがおすすめです。
オリーブ記念館
瀬戸内海の景色の美しさを眺めるのはもちろんです


土渕海峽--金氏記錄世界最狹窄的海峽--最窄的寬度只有9.93m. 

                             エンジェルロード~天使の散歩道














把麵拉長是對店家的恭維,表示麵的Q度夠












































































































































































面具之後,仍是那一夜的歌聲 The Phantom of the Opera

面具之後,仍是那一夜的歌聲 The Phantom of the Opera 每次來到倫敦(London),無論是獨自旅行,還是帶著學生參加遊學團,只要夜晚尚有一點空隙,我總忍不住走向燈火燦爛的西區(West End)。到了紐約(New York),只要時間允許,我也總想走進劇院...