鳥之淵
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)の桜(さくら)
春(はる)は、音(おと)もなく
水(みず)のほとりに降(お)り立(た)つ。
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)の静(しず)かな流(なが)れに沿(そ)って、
桜(さくら)は今日(きょう)も
淡(あわ)い息(いき)をしている。
白(しろ)でもなく、
紅(くれない)でもなく、
名(な)もない光(ひかり)の色(いろ)で、
空(そら)と水(みず)のあいだに揺(ゆ)れている。
花(はな)びらは
風(かぜ)に急(せ)かされることもなく、
ただ、ゆっくりと
時間(じかん)の上(うえ)を漂(ただよ)う。
一枚(いちまい)、また一枚(いちまい)――
それは別(わか)れではなく、
帰(かえ)る場所(ばしょ)を
知(し)っている者(もの)の
歩(あゆ)みのように、やさしい。
水面(すいめん)に映(うつ)る桜(さくら)は
もうひとつの空(そら)のようで、
現実(げんじつ)と夢(ゆめ)の境目(さかいめ)は
ここでは静(しず)かにほどけていく。
櫂(かい)のきしむ音(おと)さえ、
遠(とお)い記憶(きおく)のように和(やわ)らぎ、
人(ひと)の気配(けはい)は
いつのまにか
春(はる)の気配(けはい)へと溶(と)けてゆく。
夕暮(ゆうぐ)れが近(ちか)づくと、
桜(さくら)は言葉(ことば)を失(うしな)い、
光(ひかり)だけをまとう。
灯(あか)りが入(はい)り、
夜(よる)が花(はな)を受(う)け取(と)るころ、
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は
この世(よ)のものとも思(おも)えぬ
静(しず)かな祝祭(しゅくさい)へと変(か)わる。
私(わたし)はただ、立(た)ち止(ど)まり、
散(ち)るということが、
これほどまでに美(うつく)しい
行為(こうい)であることを、
この場所(ばしょ)で、
はじめて知(し)った。















































































































































