中尊寺,毛越寺
中尊寺(ちゅうそんじ)は、平泉(ひらいずみ)に建(た)つ、奥州(おうしゅう)藤原氏(ふじわらし)の祈(いの)りが今(いま)も息(いき)づく寺院(じいん)です。
参道(さんどう)を歩(ある)くと、杉木立(すぎこだち)の間(あいだ)に静(しず)かな空気(くうき)が流(なが)れ、時(とき)の重(おも)みが自然(しぜん)と伝(つた)わってきます。
金色堂(こんじきどう)は、内陣(ないじん)いっぱいに施(ほどこ)された金箔(きんぱく)が、奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の栄華(えいが)と、無常(むじょう)への思(おも)いを同時(どうじ)に映(うつ)し出(だ)します。
華(はな)やかでありながら、そこに漂(ただよ)うのは、深(ふか)い鎮(しず)まりです。
毛越寺(もうつうじ)は、中尊寺(ちゅうそんじ)と並(なら)ぶ平泉(ひらいずみ)の名刹(めいさつ)で、浄土(じょうど)を地上(ちじょう)に表(あらわ)した浄土庭園(じょうどていえん)で知(し)られています。
大泉が池(おおいずみがいけ)を中心(ちゅうしん)に広(ひろ)がる庭園(ていえん)は、水(みず)と空(そら)を静(しず)かに映(うつ)し、歩(ある)く人(ひと)の心(こころ)を整(ととの)えます。
毛越寺(もうつうじ)の庭(にわ)では、景色(けしき)が語(かた)りすぎることはありません。
石(いし)と水(みず)、草(くさ)と光(ひかり)がつくる余白(よはく)が、訪(おとず)れる人(ひと)に、静(しず)かな想像(そうぞう)の場(ば)を与(あた)えます。
中尊寺(ちゅうそんじ)と毛越寺(もうつうじ)は、華(はな)やかさと静寂(せいじゃく)、信仰(しんこう)と美(び)が共(とも)に在(あ)る場所(ばしょ)です。
平泉(ひらいずみ)を歩(ある)くことは、歴史(れきし)を見(み)ることではなく、時(とき)と共(とも)に呼吸(こきゅう)することなのかもしれません。



































































































