東京
東京,一部四十多年仍讀不完的長篇小說
四十多年前,我第一次來到東京。
那時的我,站在這座世界大都會的街頭,看著電車在高樓間穿梭,車站裡人潮奔流,銀座的櫥窗閃耀著精緻華美的光芒,新宿的霓虹彷彿徹夜不眠。東京的繁華、秩序與速度,帶給我前所未有的震撼;也就在那一次,我愛上了這座城市。
後來孩子漸漸長大,我又牽著他們的手來到東京迪士尼樂園。看著孩子在童話城堡前奔跑,在遊行音樂中歡笑,直到夜空綻放燦爛煙火,我明白:同一座東京,會因為同行的人不同,而呈現完全不同的色彩。年輕時來東京,我看見世界的寬廣;帶著孩子再來,我看見的卻是親情的溫暖。
此後四十餘年,我斷斷續續造訪東京,次數多得已經難以細數。奇妙的是,我從未對它感到厭倦。東京像一本沒有最後一頁的書,每次重新翻開,都會讀到新的篇章;又像隅田川不斷流動的水,昨日的倒影尚未消失,今日的城市又映入河中。
從江戶鐘聲到晴空塔
東京最迷人的地方,是它能讓幾百年的江戶記憶與最前衛的現代生活,在同一片天空下自然並存。
走過淺草寺的雷門,巨大的紅燈籠高懸眼前,仲見世通傳來叫賣聲、煎餅香與遊客的笑語。抬起頭來,東京晴空塔卻已從古老屋瓦後方直指藍天。寺院的鐘聲與現代高塔彼此遙望,彷彿江戶從未真正離去,只是悄悄換上了現代的衣裳。
松尾芭蕉曾寫道:
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」花如雲海,遠方傳來的鐘聲,究竟來自上野,還是淺草?
沿著隅田川散步,橋梁、遊船與晴空塔倒映在水中。春天,兩岸櫻花將河流染成淡淡粉色;黃昏以後,東京的燈火又被水波揉成細碎金光。
不遠處的東京鐵塔,則承載著另一個時代的記憶。它雖不及晴空塔高,橙紅色的塔身卻象徵著戰後東京重新站起來的勇氣。每當夜色降臨,它依然像一盞不肯熄滅的燈,守望著這座城市。
到了台場,視野忽然開闊。彩虹大橋橫跨東京灣,高樓、海濱、摩天輪與人工島共同構成東京面向未來的一張臉。東京有時如此古老,有時又如此年輕;昨日與明日,往往只隔著一站電車。
皇城、庭園與歷史的沉默
東京雖然繁忙,城市中央卻保留著一片意外遼闊的寧靜。
皇居深藏於護城河與松林之後,皇居外苑鋪展著寬廣的草地,二重橋倒映水中,莊嚴而不張揚。北之丸公園像皇城旁的一次深呼吸,春有櫻花,秋有銀杏,使厚重的歷史多了一份自然的溫柔。
千鳥淵是東京春天最令人難忘的地方之一。櫻樹從石垣上伸向護城河,萬千花瓣隨風飄落,在水面聚成美麗的「花筏」。人在花下,總會同時感到喜悅與淡淡哀愁,因為櫻花最美的時刻,也正是它即將凋零之時。
正如在原業平所寫:
「世の中に 絶えて桜のなかりせば春の心は のどけからまし」
如果世上沒有櫻花,人們的春心或許會更加平靜;然而,正因為它短暫,我們才如此珍惜。
昔日的新江戶川公園,今日已名為肥後細川庭園。池泉、石橋、山坡與古木相互映照,保留了大名庭園的幽雅。濱離宮恩賜庭園則引東京灣潮水入池,古松與茶屋之外,摩天大樓拔地而起,彷彿江戶、明治與令和同時映在一池春水之中。
迎賓館赤坂離宮以華麗的西洋宮殿建築,展現明治以後日本面向世界的雄心。明治神宮卻是另一種氣象:走進高大樹林,城市喧囂立刻退到身後,只剩玉砂利上的腳步聲與樹梢落下的微光。
靖國神社承載著複雜而沉重的近代歷史。來到這裡,我更願意保持安靜,以理解歷史、追念戰爭中的犧牲,並珍惜今日得來不易的和平。
上野、築地與東京的庶民生命
上野是我一次又一次回去的地方。
上野恩賜公園既有櫻花盛開的華麗,也有博物館、美術館與學術文化的沉靜。春天,人們在櫻樹下舉杯歡笑;走進東京國立博物館或國立西洋美術館,卻又像跨入另一條漫長而安靜的時間之河。
公園之外的阿美橫丁,又是完全不同的上野。狹窄街道擠滿海產、乾貨、水果、藥妝與服飾,店家的叫賣聲此起彼落。這裡沒有銀座的優雅,卻有東京最直接、最旺盛的庶民生命力。
築地市場也是東京最有味道的地方之一。清晨的街巷瀰漫著烤魚、玉子燒、海鮮與昆布高湯的香氣。昔日的中央批發市場雖已遷往豐洲,築地場外市場依然熱鬧。人們在小店前站著吃壽司、海膽與鮪魚,彷彿品嘗的不只是食物,也是東京靠海而生的城市記憶。
銀座則展現東京成熟而精緻的一面。百貨公司、老字號商店與名牌櫥窗排列在筆直大道兩旁,到了夜晚,街燈照亮建築立面,使整條街像一座優雅的露天舞台。
青春、流行與永不停息的十字路口
原宿竹下通是東京青春最鮮明的舞台。色彩誇張的服裝、可麗餅、音樂與次文化,使短短的一條街充滿無限想像。從竹下通走向表參道,氣氛立刻轉為從容優雅。兩旁櫸木伸展成綠色穹頂,精品店與現代建築在樹影間展開。
澀谷則像東京跳動最快的心臟。十字路口號誌一變,來自四面八方的人潮同時湧向中央,看似混亂,卻又奇妙地彼此錯身而過。忠犬八公仍靜靜守在車站外,注視著每天無數次的相遇與離別。
六本木交織著美術館、國際文化與璀璨夜生活;新宿則聚集了高樓、百貨公司、車站與永不停息的人潮。歌舞伎町的霓虹徹夜閃爍,宛如東京夜色中一場喧鬧而華麗的夢。
然而就在繁華不遠處,花園神社安靜地藏在高樓之間。穿過朱紅鳥居,喧鬧忽然遠去;走出神社幾步,卻又回到歌舞伎町的人海。神聖與世俗、寧靜與喧囂相隔不過幾分鐘,這正是東京最耐人尋味之處。
新宿御苑則是繁華中的一場春夢。櫻花盛開時,人們坐在草地上仰望花枝,四周雖有高樓,園內卻只剩風聲與花影。東京最動人的地方,或許不在於它永遠快速,而在於它懂得在快速之中,為人保留一片可以停下來的天空。
車站、大學與緩慢行駛的電車
紅磚建造的東京車站面向丸之內現代高樓,古典與新潮在同一個畫面裡相遇。無數列車從這裡出發,也把無數旅人的故事帶回東京。
早稻田大學則讓人看見東京知識與思想的一面。校園裡有大隈重信的身影,也留著一代代青年追求理想的足音。
從早稻田附近搭乘都電荒川線,老式電車緩緩穿過住宅區、商店街與路旁花木,才發現高速運轉的東京,仍珍藏著如此緩慢而親切的日常。
吉祥寺又呈現東京適合生活的一面。商店街、咖啡館、雜貨店與井之頭公園,使人暫時忘記自己仍置身於世界最大的都會圈之一。這裡不必追趕什麼,只須沿著小路慢慢走,便能感受到東京平凡而真實的幸福。
御殿場名牌暢貨中心雖已離開東京都,卻經常成為東京旅行的延伸。天氣晴朗時,一面購物,一面遠眺富士山;人間購物的熱鬧與雪峰亙古的莊嚴並列,也形成一種頗有日本特色的旅行風景。
四十多年仍讀不完的城市
四十多年的歲月過去了,東京的天際線不斷改變,我也從當年初見繁華的年輕旅人,走到今日帶著滿懷回憶重訪舊地的人。
曾經牽著孩子的手走進迪士尼,如今再走過東京車站、銀座、淺草與上野,記憶中的孩子彷彿仍跟在身旁。城市不會為我們留住時間,卻會在某一座車站、某一個街角,或某一陣熟悉的風裡,忽然將失去的歲月還給我們。
日本作家永井荷風終其一生書寫東京。他所眷戀的不只是名勝,更是河岸、巷弄與尋常人家的生活,是那些不斷消逝、又不斷重生的城市記憶。
對我而言,東京也是如此。
我早已記不得來過多少次,卻記得每次離開時,總覺得還有一些地方尚未看完;每次重新歸來,又發現熟悉的街道已長出新的風景。
東京不是一座只供觀光的城市,而是我讀了四十多年、至今仍未讀完的一部長篇小說。每一座車站都是章節,每一條街道都是句子;櫻花、霓虹、寺院的鐘聲、電車的轟鳴,以及家人昔日的笑語,都是散落在歲月之間、永遠不會褪色的標點。
Chatgpt修正注音
四十年以上読み続けても、まだ読み終えられない東京
四十数年前(よんじゅうすうねんまえ)、私(わたし)は初(はじ)めて東京(とうきょう)を訪(おとず)れた。
当時(とうじ)の東京(とうきょう)は、初(はじ)めて大都会(だいとかい)を訪(おとず)れた旅人(たびびと)にとって、果(は)てしなく広(ひろ)がる光(ひかり)の海(うみ)のようであった。
電車(でんしゃ)は高層建築(こうそうけんちく)の間(あいだ)を走(はし)り、駅(えき)には絶(た)え間(ま)なく人々(ひとびと)が行(い)き交(か)う。銀座(ぎんざ)のショーウインドーは洗練(せんれん)された光(ひかり)を放(はな)ち、新宿(しんじゅく)のネオンは、まるで夜(よる)になっても眠(ねむ)ろうとしなかった。
東京(とうきょう)の繁栄(はんえい)、秩序(ちつじょ)、そして速度(そくど)に驚(おどろ)き、その最初(さいしょ)の旅(たび)で、私はこの都市(とし)を好(す)きになった。
その後(ご)、子供(こども)たちが成長(せいちょう)すると、家族(かぞく)を連(つ)れて東京ディズニーランドを訪(おとず)れた。童話(どうわ)の城(しろ)の前(まえ)を走(はし)る子供(こども)たち、パレードの音楽(おんがく)、夜空(よぞら)に広(ひろ)がる花火(はなび)を見(み)ながら、同(おな)じ東京(とうきょう)でも、一緒(いっしょ)に旅(たび)をする人(ひと)によって、まったく違(ちが)う色(いろ)になることを知(し)った。
若(わか)い頃(ころ)の東京(とうきょう)は、世界(せかい)の広(ひろ)さを教(おし)えてくれた。子供(こども)たちと訪(おとず)れた東京(とうきょう)は、家族(かぞく)の温(あたた)かさを教(おし)えてくれた。
それ以来(いらい)、何度(なんど)東京(とうきょう)を訪(おとず)れたのか、もう数(かぞ)えることができない。それでも、一度(いちど)も東京(とうきょう)に飽(あ)きたことはない。
東京(とうきょう)は最後(さいご)のページがない本(ほん)のようであり、開(ひら)くたびに新(あたら)しい物語(ものがたり)を読(よ)ませてくれる。また、絶(た)えず流(なが)れる隅田川(すみだがわ)のように、昨日(きのう)の面影(おもかげ)を残(のこ)しながら、今日(きょう)の風景(ふうけい)を新(あら)たに映(うつ)している。
江戸の鐘と現代の塔
江戸(えど)の鐘(かね)と現代(げんだい)の塔(とう)
東京(とうきょう)の魅力(みりょく)は、数百年(すうひゃくねん)の江戸(えど)の記憶(きおく)と、最先端(さいせんたん)の都市生活(としせいかつ)が、同(おな)じ空(そら)の下(した)で自然(しぜん)に共存(きょうぞん)していることである。
浅草寺(せんそうじ)の雷門(かみなりもん)をくぐると、巨大(きょだい)な赤(あか)い提灯(ちょうちん)が目(め)の前(まえ)に現(あらわ)れる。仲見世通(なかみせどお)りには店(みせ)の声(こえ)、煎餅(せんべい)の香(かお)り、観光客(かんこうきゃく)の笑(わら)い声(ごえ)が満(み)ちている。
古(ふる)い屋根(やね)の向(む)こうには、東京スカイツリーが青空(あおぞら)へ伸(の)びている。寺(てら)の鐘(かね)と現代(げんだい)の高塔(こうとう)が、時代(じだい)を越(こ)えて互(たが)いに見(み)つめ合(あ)っているようである。
松尾芭蕉(まつおばしょう)は、江戸(えど)の春(はる)をこう詠(よ)んだ。
花(はな)の雲(くも)鐘(かね)は上野(うえの)か浅草(あさくさ)か
隅田川(すみだがわ)の岸辺(きしべ)を歩(ある)けば、橋(はし)、遊覧船(ゆうらんせん)、東京スカイツリーが水面(みなも)に映(うつ)る。春(はる)には桜(さくら)が両岸(りょうがん)を淡(あわ)い桃色(ももいろ)に染(そ)め、夕暮(ゆうぐ)れには東京(とうきょう)の灯(あか)りが細(こま)かな金色(きんいろ)の波(なみ)となって揺(ゆ)れる。
東京タワーには、スカイツリーとは違(ちが)う懐(なつ)かしさがある。高さ(たかさ)では及(およ)ばなくても、その橙色(だいだいいろ)の塔(とう)には、戦後(せんご)の東京(とうきょう)が再(ふたた)び立(た)ち上(あ)がった時代(じだい)の希望(きぼう)が刻(きざ)まれている。
台場(だいば)へ行(い)くと、視界(しかい)が突然(とつぜん)開(ひら)ける。レインボーブリッジが東京湾(とうきょうわん)を横切(よこぎ)り、海辺(うみべ)、高層建築(こうそうけんちく)、商業施設(しょうぎょうしせつ)、人工島(じんこうとう)が、未来(みらい)へ向(む)かう東京(とうきょう)の姿(すがた)を見(み)せてくれる。
皇居と庭園の静寂
皇居(こうきょ)と庭園(ていえん)の静寂(せいじゃく)
東京(とうきょう)は巨大(きょだい)で忙(いそが)しい都市(とし)でありながら、その中心(ちゅうしん)には、驚(おどろ)くほど広(ひろ)い静寂(せいじゃく)が残(のこ)されている。
皇居(こうきょ)は濠(ほり)と松林(まつばやし)の奥(おく)にあり、皇居外苑(こうきょがいえん)には広(ひろ)い芝生(しばふ)が続(つづ)いている。二重橋(にじゅうばし)が水面(みなも)に映(うつ)る風景(ふうけい)には、華美(かび)ではない、節度(せつど)ある美(うつく)しさがある。
北の丸公園(きたのまるこうえん)は、皇居(こうきょ)のそばにある緑(みどり)の呼吸(こきゅう)のような場所(ばしょ)である。春(はる)には桜(さくら)が咲(さ)き、秋(あき)には銀杏(いちょう)が黄色(きいろ)く染(そ)まり、自然(しぜん)が歴史(れきし)の重(おも)さを優(やさ)しく包(つつ)んでいる。
千鳥ヶ淵(ちどりがふち)は、東京(とうきょう)の春(はる)を代表(だいひょう)する場所(ばしょ)の一(ひと)つである。桜(さくら)の枝(えだ)が石垣(いしがき)から濠(ほり)へ伸(の)び、散(ち)った花(はな)びらが水面(みなも)に集(あつ)まって、美(うつく)しい花筏(はないかだ)となる。
在原業平(ありわらのなりひら)は、桜(さくら)を愛(あい)する人(ひと)の心(こころ)をこう詠(よ)んだ。
世(よ)の中(なか)に絶(た)えて桜(さくら)のなかりせば春(はる)の心(こころ)はのどけからまし
旧新江戸川公園(きゅうしんえどがわこうえん)、現在(げんざい)の肥後細川庭園(ひごほそかわていえん)には、池(いけ)、石橋(いしばし)、斜面(しゃめん)、古木(こぼく)が調和(ちょうわ)した大名庭園(だいみょうていえん)の風雅(ふうが)が残(のこ)っている。
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)では、東京湾(とうきょうわん)の潮(しお)を引(ひ)き入(い)れた潮入(しおい)りの池(いけ)、古松(こしょう)、茶屋(ちゃや)の向(む)こうに、現代(げんだい)の高層建築(こうそうけんちく)がそびえている。江戸(えど)、明治(めいじ)、令和(れいわ)が同(おな)じ水面(みなも)に映(うつ)っているかのようである。
迎賓館赤坂離宮(げいひんかんあかさかりきゅう)は、華麗(かれい)な西洋宮殿建築(せいようきゅうでんけんちく)によって、明治以後(めいじいご)の日本(にほん)が世界(せかい)へ向(む)かおうとした意志(いし)を伝(つた)えている。
一方(いっぽう)、明治神宮(めいじじんぐう)の森(もり)へ入(はい)ると、都会(とかい)の騒音(そうおん)は突然(とつぜん)遠(とお)ざかる。玉砂利(たまじゃり)を踏(ふ)む足音(あしおと)と、木々(きぎ)の間(あいだ)から差(さ)す柔(やわ)らかな光(ひかり)だけが残(のこ)る。
靖国神社(やすくにじんじゃ)は、日本(にほん)の複雑(ふくざつ)で重(おも)い近代史(きんだいし)を背負(せお)っている。ここでは歴史(れきし)を理解(りかい)し、戦争(せんそう)が多(おお)くの人々(ひとびと)にもたらした苦(くる)しみを忘(わす)れず、平和(へいわ)を大切(たいせつ)にする心(こころ)で向(む)き合(あ)いたい。
上野と築地の庶民文化
上野(うえの)と築地(つきじ)の庶民文化(しょみんぶんか)
上野(うえの)は、私(わたし)が何度(なんど)でも帰(かえ)りたくなる場所(ばしょ)である。
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)には、桜(さくら)の華(はな)やかさだけでなく、博物館(はくぶつかん)、美術館(びじゅつかん)、音楽(おんがく)、学問(がくもん)の静(しず)かな空気(くうき)がある。春(はる)には人々(ひとびと)が桜(さくら)の下(した)で笑(わら)い、美術館(びじゅつかん)の中(なか)では芸術(げいじゅつ)が静(しず)かに時(とき)を刻(きざ)んでいる。
アメヤ横丁(よこちょう)、通称(つうしょう)アメ横(よこ)には、魚介類(ぎょかいるい)、乾物(かんぶつ)、果物(くだもの)、衣服(いふく)、化粧品(けしょうひん)が並(なら)び、店員(てんいん)の声(こえ)が絶(た)え間(ま)なく響(ひび)く。銀座(ぎんざ)の優雅(ゆうが)さとは異(こと)なる、庶民(しょみん)の生命力(せいめいりょく)がここにはある。
築地(つきじ)の朝(あさ)には、焼(や)き魚(ざかな)、玉子焼(たまごや)き、海産物(かいさんぶつ)、昆布出汁(こんぶだし)の香(かお)りが漂(ただよ)う。中央卸売市場(ちゅうおうおろしうりしじょう)が豊洲(とよす)へ移転(いてん)した後(あと)も、築地場外市場(つきじじょうがいしじょう)は活気(かっき)を失(うしな)っていない。
銀座(ぎんざ)には、成熟(せいじゅく)した上品(じょうひん)さがある。老舗(しにせ)、百貨店(ひゃっかてん)、世界的(せかいてき)なブランド店(てん)が大通(おおどお)りに並(なら)び、夜(よる)になると、町全体(まちぜんたい)が優雅(ゆうが)な舞台(ぶたい)のように輝(かがや)く。
若者文化と夜の東京
若者文化(わかものぶんか)と夜(よる)の東京(とうきょう)
原宿(はらじゅく)の竹下通(たけしたどお)りは、若者(わかもの)の想像力(そうぞうりょく)が集(あつ)まる舞台(ぶたい)である。個性的(こせいてき)な服(ふく)、色鮮(いろあざ)やかな菓子(かし)、音楽(おんがく)、流行(りゅうこう)が、短(みじか)い通(とお)りを独特(どくとく)の世界(せかい)に変(か)えている。
竹下通(たけしたどお)りから表参道(おもてさんどう)へ歩(ある)くと、町(まち)の表情(ひょうじょう)は急(きゅう)に優雅(ゆうが)になる。欅並木(けやきなみき)が緑(みどり)の天井(てんじょう)をつくり、ブランド店(てん)と現代建築(げんだいけんちく)が木陰(こかげ)に並(なら)んでいる。
渋谷(しぶや)は、東京(とうきょう)で最(もっと)も速(はや)く鼓動(こどう)する心臓(しんぞう)のようである。スクランブル交差点(こうさてん)の信号(しんごう)が変(か)わると、四方(しほう)から人々(ひとびと)が中央(ちゅうおう)へ流(なが)れ込(こ)む。忠犬(ちゅうけん)ハチ公(こう)は、今(いま)も駅前(えきまえ)で、人々(ひとびと)の出会(であ)いと別(わか)れを見守(みまも)っている。
六本木(ろっぽんぎ)には美術館(びじゅつかん)、国際文化(こくさいぶんか)、華(はな)やかな夜(よる)が交錯(こうさく)している。新宿(しんじゅく)には高層建築(こうそうけんちく)、百貨店(ひゃっかてん)、巨大(きょだい)な駅(えき)、絶(た)えることのない人波(ひとなみ)が集(あつ)まっている。
歌舞伎町(かぶきちょう)のネオンは一晩中(ひとばんじゅう)輝(かがや)き続(つづ)け、東京(とうきょう)の夜(よる)に浮(う)かぶ、賑(にぎ)やかで華麗(かれい)な夢(ゆめ)のようである。
その近(ちか)くには花園神社(はなぞのじんじゃ)が静(しず)かに鎮座(ちんざ)している。朱色(しゅいろ)の鳥居(とりい)をくぐれば喧騒(けんそう)が遠(とお)ざかり、神社(じんじゃ)を出(で)て数分(すうふん)歩(ある)けば、再(ふたた)び歌舞伎町(かぶきちょう)の人波(ひとなみ)に戻(もど)る。
神聖(しんせい)と世俗(せぞく)、静寂(せいじゃく)と喧騒(けんそう)が隣(とな)り合(あ)っていることも、東京(とうきょう)の不思議(ふしぎ)な魅力(みりょく)である。
新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、繁華街(はんかがい)の中(なか)に浮(う)かぶ春(はる)の夢(ゆめ)のようだ。桜(さくら)が咲(さ)く頃(ころ)、人々(ひとびと)は芝生(しばふ)に座(すわ)って花(はな)を見上(みあ)げる。周囲(しゅうい)に高層建築(こうそうけんちく)があっても、園内(えんない)には風(かぜ)の音(おと)と花(はな)の影(かげ)だけが残(のこ)る。
駅と大学と小さな電車
駅(えき)と大学(だいがく)と小(ちい)さな電車(でんしゃ)
赤煉瓦(あかれんが)の東京駅(とうきょうえき)は、丸の内(まるのうち)の現代的(げんだいてき)な高層建築(こうそうけんちく)と向(む)かい合(あ)っている。古典(こてん)と現代(げんだい)が、一(ひと)つの風景(ふうけい)の中(なか)で出会(であ)う場所(ばしょ)である。
早稲田大学(わせだだいがく)を歩(ある)くと、東京(とうきょう)の知性(ちせい)と思想(しそう)の一面(いちめん)を見ることができる。大隈重信(おおくましげのぶ)の記憶(きおく)と、一代(いちだい)また一代(いちだい)の若者(わかもの)が理想(りそう)を追(お)い求(もと)めた足音(あしおと)が、今(いま)も校内(こうない)に残(のこ)っている。
東京さくらトラム、すなわち都電荒川線(とでんあらかわせん)に乗(の)ると、小(ちい)さな電車(でんしゃ)が住宅地(じゅうたくち)、商店街(しょうてんがい)、路地(ろじ)の花々(はなばな)の間(あいだ)をゆっくりと走(はし)る。高速(こうそく)で動(うご)く東京(とうきょう)にも、穏(おだ)やかで親(した)しみやすい日常(にちじょう)が残(のこ)されている。
吉祥寺(きちじょうじ)には、暮(く)らしやすい町(まち)の落(お)ち着(つ)きがある。商店街(しょうてんがい)、喫茶店(きっさてん)、雑貨店(ざっかてん)、井の頭公園(いのかしらこうえん)を歩(ある)いていると、世界最大級(せかいさいだいきゅう)の都市圏(としけん)にいることを、しばらく忘(わす)れてしまう。
御殿場(ごてんば)のアウトレットは東京都(とうきょうと)の外(そと)にあるが、東京旅行(とうきょうりょこう)の延長(えんちょう)として楽(たの)しめる場所(ばしょ)である。天気(てんき)がよければ、買(か)い物(もの)をしながら富士山(ふじさん)を眺(なが)めることができる。人間(にんげん)の賑(にぎ)やかな暮(く)らしと、雪(ゆき)を頂(いただ)く富士山(ふじさん)の荘厳(そうごん)さが、一(ひと)つの景色(けしき)の中(なか)に並(なら)ぶ。
まだ読み終えられない東京
まだ読(よ)み終(お)えられない東京(とうきょう)
四十数年(よんじゅうすうねん)の歳月(さいげつ)が流(なが)れ、東京(とうきょう)の空(そら)の形(かたち)は変(か)わり続(つづ)けた。私(わたし)も、初(はじ)めて東京(とうきょう)の繁華(はんか)に驚(おどろ)いた若(わか)い旅人(たびびと)から、多(おお)くの思(おも)い出(で)を抱(かか)えて、懐(なつ)かしい場所(ばしょ)を再訪(さいほう)する年齢(ねんれい)になった。
かつて子供(こども)たちの手(て)を引(ひ)いて、東京ディズニーランドへ行(い)った。今(いま)、東京駅(とうきょうえき)、銀座(ぎんざ)、浅草(あさくさ)、上野(うえの)を再(ふたた)び歩(ある)くと、あの頃(ころ)の子供(こども)たちが、今(いま)もそばを歩(ある)いているように感(かん)じることがある。
都市(とし)は私(わたし)たちの時間(じかん)を止(と)めてはくれない。しかし、ある駅(えき)、ある街角(まちかど)、ある懐(なつ)かしい風(かぜ)の中(なか)で、失(うしな)われた歳月(さいげつ)を突然(とつぜん)返(かえ)してくれることがある。
作家(さっか)の永井荷風(ながいかふう)は、生涯(しょうがい)にわたって東京(とうきょう)を書(か)き続(つづ)けた。彼(かれ)が愛(あい)したのは有名(ゆうめい)な名所(めいしょ)だけではない。川辺(かわべ)、路地(ろじ)、古(ふる)い町並(まちな)み、そして消(き)えては生(う)まれ変(か)わる人々(ひとびと)の暮(く)らしであった。
私(わたし)にとっての東京(とうきょう)も同(おな)じである。
何度(なんど)訪(おとず)れたのかは、もう思(おも)い出(だ)せない。それでも東京(とうきょう)を離(はな)れるたびに、まだ見(み)ていない場所(ばしょ)が残(のこ)っていると感(かん)じる。そして再(ふたた)び帰(かえ)ってくると、見慣(みな)れた街(まち)の中(なか)に、新(あたら)しい風景(ふうけい)を発見(はっけん)する。
東京(とうきょう)は、ただ観光(かんこう)するための都市(とし)ではない。それは、私(わたし)が四十年以上(よんじゅうねんいじょう)読(よ)み続(つづ)けながら、今(いま)も読(よ)み終(お)えることのできない長編小説(ちょうへんしょうせつ)である。
一(ひと)つ一(ひと)つの駅(えき)が章(しょう)となり、一筋(ひとすじ)一筋(ひとすじ)の道(みち)が文章(ぶんしょう)となる。桜(さくら)、ネオン、寺(てら)の鐘(かね)、電車(でんしゃ)の響(ひび)き、そして家族(かぞく)の懐(なつ)かしい笑(わら)い声(ごえ)は、歳月(さいげつ)の中(なか)に置(お)かれた、決(けっ)して色褪(いろあ)せることのない句読点(くとうてん)なのである。

皇居外苑地区は、黒松の点在する大芝生広場と江戸城のたたずまいを残す濠、城門などの歴史的建造物とが調和し、我が国を代表する公園として親しまれています。
北の丸地区は、旧近衛連隊の跡地を森林公園として整備したもので、皇居内で一般公開がなされている東御苑をはさんで、皇居外苑地区と連絡し、一体的な公園利用が可能となっており、散策や自然観察などに利用されています。
ダイバーシティ東京 プラザ

お台場海浜公園
明治神宮(めいじじんぐう)











































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































