大阪から奈良へ――水の都と古都を歩く旅
(おおさか から なら へ――みず の みやこ と こと を あるく たび)
大阪周遊パス(おおさかしゅうゆうパス)を手(て)に、大阪(おおさか)の街(まち)を縦横(じゅうおう)に巡(めぐ)った。
まず梅田(うめだ)の高層建築(こうそうけんちく)から街を見渡(みわた)すと、眼下(がんか)にはビルの群(む)れが果(は)てしなく広がり、その向こうには大阪湾(おおさかわん)の青い水面(すいめん)が、空の光を映していた。大阪は商人(しょうにん)の町であると同時に、川と海に育てられた「水の都(みずのみやこ)」でもある。
大阪城天守閣(おおさかじょう・てんしゅかく)に登れば、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の夢と栄華(えいが)が、石垣(いしがき)の一つ一つから立ち上がってくるようであった。大阪城西の丸庭園(おおさかじょう・にしのまるていえん)では、緑の芝生(しばふ)の向こうに天守閣が端正(たんせい)な姿を見せ、都会の喧騒(けんそう)が不思議なほど遠ざかっていった。
大阪歴史博物館(おおさかれきしはくぶつかん)では、古代(こだい)の難波宮(なにわのみや)から近代都市(きんだいとし)へと発展した大阪の長い歴史をたどった。大阪くらしの今昔館(おおさか・くらしの・こんじゃくかん)に入ると、そこには江戸時代(えどじだい)の町家(まちや)や路地(ろじ)が再現されていた。まるで時の扉(ときのとびら)を開き、昔の大阪へ迷い込んだようである。
通天閣(つうてんかく)の周辺には、庶民的(しょみんてき)で飾らない大阪の人情(にんじょう)があふれていた。天保山(てんぽうざん)へ向かえば、港町(みなとまち)らしい広々とした風景が広がり、潮風(しおかぜ)が旅の疲れを静かにほどいてくれた。
道頓堀(どうとんぼり)では、とんぼりリバークルーズとも呼ばれる水上観光船(すいじょうかんこうせん)に乗った。川面(かわも)から見上げる巨大な看板(かんばん)やネオンは、歩いて眺める景色とはまた違う。橋の上を行き交う人々の声、店から漂う食べ物の香り、川面に揺れる色とりどりの灯(ひ)――大阪の夜は、まるで眠ることを知らない舞台(ぶたい)のようであった。
さらに大阪水上バス「アクアライナー」に乗り、大川(おおかわ)の流れに身を任せた。水辺(みずべ)に並ぶ建物や橋を眺めていると、大阪という街が水とともに生きてきたことを、改めて感じることができた。
四天王寺(してんのうじ)では、中心伽藍(ちゅうしんがらん)を巡り、本坊庭園(ほんぼうていえん)の静けさに心を休めた。聖徳太子(しょうとくたいし)ゆかりの古寺(こじ)には、華やかな大阪の街とは異なる、深く落ち着いた時間が流れていた。
大阪から近鉄電車(きんてつでんしゃ)に乗り、近鉄奈良駅(きんてつならえき)へ向かった。列車を降りると、そこから先は古都奈良(ことなら)の千三百年(せんさんびゃくねん)の時間である。
奈良国立博物館(ならこくりつはくぶつかん)で仏教美術(ぶっきょうびじゅつ)の深い精神に触れ、奈良公園(ならこうえん)へ歩いていく。木々の間から鹿(しか)が静かに姿を現し、こちらを恐れることもなく、悠然(ゆうぜん)と草を食べていた。人と鹿、寺院と森が、長い年月をかけて一つの風景になっている。
東大寺(とうだいじ)の大仏殿(だいぶつでん)に入ると、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の大きな慈顔(じがん)が、旅人を静かに見下ろしていた。その壮大(そうだい)さの前では、人間の悩みも小さく思えてくる。
そこから石段(いしだん)を登り、二月堂(にがつどう)へ向かった。舞台から奈良の町を望むと、古い屋根の波が遠くまで続き、風が回廊(かいろう)を通り抜けていった。近くの三月堂(さんがつどう)、正式には法華堂(ほっけどう)には、奈良時代の祈りが今も凝縮(ぎょうしゅく)されているようであった。
若草山(わかくさやま)のなだらかな斜面(しゃめん)を眺めながら、春日山原始林(かすがやまげんしりん)へと歩いた。木漏れ日(こもれび)が苔(こけ)を照らし、鳥の声が深い森の奥から響いてくる。千年以上にわたって守られてきた森には、人の手では作ることのできない荘厳(そうごん)な静けさがあった。
遠く高円山(たかまどやま)には、奈良大文字送り火(ならだいもんじおくりび)の「大」の字を形づくる火床(ひどこ)が配置されている。夏の夜には炎の文字が山肌(やまはだ)に浮かび上がり、戦没者(せんぼつしゃ)への慰霊(いれい)と世界平和(せかいへいわ)への祈りが古都の空へと届けられる。
春日大社(かすがたいしゃ)では、朱塗(しゅぬ)りの社殿(しゃでん)と無数の燈籠(とうろう)が深い緑の中に続いていた。風が吹くたびに森の葉が揺れ、神々のささやきが聞こえてくるようであった。
正倉院(しょうそういん)の校倉造(あぜくらづくり)の正倉を外から眺めれば、シルクロードを渡ってきた宝物(ほうもつ)と、天平文化(てんぴょうぶんか)の記憶が、この静かな建物の中に守られてきたことを思う。
元興寺(がんごうじ)から奈良町(ならまち)へ入ると、格子戸(こうしど)の町家や細い路地に、昔ながらの暮らしの面影(おもかげ)が残っていた。華やかな寺院だけでなく、人々の日常生活の中にも、奈良の歴史は静かに息づいている。
興福寺(こうふくじ)の五重塔(ごじゅうのとう)を仰ぎ、猿沢池(さるさわいけ)のほとりに立つ。池の水面には空と木々が映り、塔の影が風に揺れていた。そこから三条通(さんじょうどおり)をゆっくり歩き、古い店と新しい店が並ぶ町を眺めながら、奈良の一日を締めくくった。
さらに足を延ばせば、広大な平城宮跡(へいじょうきゅうせき)がある。かつての平城京(へいじょうきょう)の中心であり、朱雀門(すざくもん)の向こうには、今も大きな空と草原が広がっている。
大阪では、水と光、人々の活気(かっき)に出会い、奈良では、森と寺、祈りと沈黙(ちんもく)に出会った。二つの町はまったく異なる表情を持ちながら、どちらも関西(かんさい)の長い歴史の中で、互いを照らし続けている。
南大門(鎌倉時代)・法華堂(正堂/奈良時代・礼堂/鎌倉時代)・ 鐘楼(鎌倉時代)・大仏殿(江戸時代)・開山堂(鎌倉時代)・転害門(奈良時代)・本坊経庫(奈良時代)・正倉院正倉(奈良時代)・二月堂(江戸時代)の9棟が国宝建造物に指定されています。
奈良市
五重塔は奈良のまちのシンボルとなっており、猿沢池からのながめは多くの観光客に親しまれています。
北円堂(鎌倉時代)・三重塔(鎌倉時代)・五重塔(室町時代)・東金堂(室町時代)の4棟が国宝建造物に指定されています。