祇園路線:六波羅蜜寺Rokuharamitsuji Temple 普門庵Fumon-an》八坂神社(やさかじんじゃ——八坂神社之總本社)祇園花見小路:(白天與晚上景點,舞妓(まいこ)は、京都の五花街(上七軒、先斗町、宮川町、祇園甲部、祇園東)《藝妓回憶錄》的拍攝地)「祇園甲部」京都風情的石板路尋找藝妓之旅
京都——一座讓我重新聽見日語的城市
年輕時,我對日文曾懷有濃厚的興趣。參加高等考試編譯人員考試時,我以英文與日文應試,兩科都順利通過。那時,我也曾想像自己終有一天,會在兩種語言之間往返,把不同文化的思想與情感,譯成彼此能夠理解的文字。
然而,人生往往另有安排。後來迫於現實,我選擇走上教師之路。粉筆、講臺、學生與繁忙的日常,逐漸占據了大部分歲月;日文因為少有使用,也就一天比一天生疏。許多曾經熟悉的漢字仍認得,讀音卻像遠去的故人,站在記憶深處,似乎相識,一時又叫不出名字。
可是,語言可以疏離,對日本文化的喜愛卻從未稍減。在日本眾多城市之中,我最喜歡的始終是京都。
京都不像東京那般耀眼而急促。東京令人驚嘆,京都卻使人留戀。東京讓人仰望未來,京都則讓人回望時間。雖然我到京都的次數沒有東京多,但每一次重來,總能獲得新的體會:年輕時看的是風景,中年以後讀的是歷史;從前追逐名勝,如今更願意在寺院的一片苔痕、町家的一扇格子窗,或茶席上緩緩升起的一縷白煙前,靜靜坐上一會兒。
京都的歷史,可以追溯到平安京。西元794年,桓武天皇遷都於此,以唐代長安、洛陽的城市格局為藍本,開啟了延續一千餘年的古都歲月。此後,平安王朝的宮廷文學、室町時代的禪宗美學、桃山時代的華麗藝術,以及江戶時代的町人文化,都在這座城市層層沉澱。因此,京都不是只有古蹟,而是一座至今仍然呼吸著的文化博物館。
松尾芭蕉曾寫道:
「京にても京なつかしやほととぎす。」身在京都,卻已開始懷念京都;杜鵑一聲,更添眷戀。
這句俳句最能形容京都給我的感受。人還沒有離去,心裡竟已生出思念。
嵐山:山水、竹影與王朝舊夢
京都的西邊,嵐山最富詩情。可先到梅小路一帶的京都鐵道博物館,再前往嵐電嵐山站或JR嵯峨嵐山站。走近渡月橋,大堰川在橋下緩緩流過,春有櫻花,夏有青嵐,秋染紅葉,冬披淡雪。橋名「渡月」,傳說來自龜山上皇所說的「似滿月渡橋而過」,一個名字,便將山水寫成了詩。
走入天龍寺,曹源池庭園把嵐山、龜山借入園中。山不是園外之山,水也不只是池中之水;天地與庭園彼此映照,正是禪宗所重視的空寂與圓融。再穿過嵯峨野竹林小徑,翠竹在風中輕響,彷彿平安時代的衣袂從身邊掠過。
野宮神社曾是齋王赴伊勢神宮前潔身修行之處,也因《源氏物語》而更添哀婉。若時間充裕,還可前往常寂光寺、大覺寺與大澤池,或登上龜山公園眺望保津川峽谷。這些地方不像渡月橋前那樣喧鬧,更容易遇見嵯峨野真正的幽深。
衣笠與北野:金色、石庭與晚春御室櫻
從北野白梅町站出發,可先參拜北野天滿宮。這裡供奉學問之神菅原道真,早春梅花盛開時,幽香浮動,彷彿連祈願的心也變得清明。
沿著衣笠一帶前行,金閣寺的舍利殿倒映在鏡湖池中,展現足利義滿時代北山文化的華麗。金色並不只是炫耀,而像繁華照見無常——今日所見的金閣,是1950年焚毀後於1955年重建的建築。
到了龍安寺,世界忽然安靜下來。十五塊石頭無論從哪一角觀看,總有一塊被遮住,彷彿提醒人:世間沒有一種眼光,可以看見全部真相。再到仁和寺,春天可賞花期較晚的御室櫻;花樹低矮,人在花間行走,不必仰望,彷彿櫻花主動來到眼前與人相逢。
有次造訪,恰逢8月16日,夜晚便到鴨川一帶遠望五山送火。「大」、「妙法」、「船形」、「左大文字」與「鳥居形」依次燃起。那並非一般煙火,而是京都人在盂蘭盆節送別祖先精靈的莊嚴儀式;火光照亮山形,也照見人對生命與離別的敬畏。
祇園與清水寺:白晝看古巷,夜晚聽木屐
京都最動人的時刻,往往在黃昏。
從六波羅蜜寺出發,經普門庵、八坂神社,走入祇園與花見小路。白天,石板路、町家格子窗與垂下的簾幕,顯得端莊含蓄;入夜後,燈籠漸亮,巷道深處偶爾傳來木屐輕敲石板的聲音。有緣遇見匆匆赴宴的舞妓或藝妓,安靜欣賞,不追逐、攔阻或擅自拍攝。真正的京都風雅,首先是一種尊重。
京都傳統的五花街,是上七軒、先斗町、宮川町、祇園甲部與祇園東。它們保存的不只是舞蹈與宴席文化,還包括京舞、三味線、茶道、插花與待客禮儀。《藝伎回憶錄》雖使祇園聞名世界,但電影呈現的只是想像中的京都;真正的祇園,比銀幕更安靜,也更克制。
走了另一條步行的路,從石塀小路、高台寺與寧寧之道開始,經一年坂、二年坂、三年坂與清水坂,最後登上清水寺。沿途茶屋、陶器店、和菓子鋪與古老町家相連;回望八坂塔,塔影從屋瓦之間升起,便是京都最經典的一幅畫。
清水寺的舞臺懸立山腹,俯瞰洛中。春櫻如雲,秋楓似火。所謂「從清水舞臺跳下去」,在日文中正是下定決心、孤注一擲的意思。走出寺門,再沿八坂通返回八坂神社,白日與夜色便在同一條古道上交會。
洛中與東山:將軍城堡、禪寺水聲與哲學之道
錦市場被稱為「京都的廚房」。京野菜、漬物、湯葉、豆腐、鱧魚、玉子燒與各式和菓子,在狹長市場中交織成京都的味覺記憶。京都料理不以濃烈取勝,而講究時令、器皿、色彩與留白;吃的不只是食物,也是一季光陰。
從錦市場前往二條城,可看見德川幕府留下的權力痕跡。二之丸御殿的「鶯張」地板,腳步經過便發出鳥鳴般的聲響,當年兼有防範刺客的作用。城中屏風金碧燦爛,卻也使人想起1867年德川慶喜在此宣布大政奉還,日本由幕府走向近代。
向東可至平安神宮,再訪南禪寺與永觀堂。南禪寺的三門雄偉,水路閣卻帶著明治時代紅磚建築的異國氣息;永觀堂則以秋楓與「回首阿彌陀」聞名。沿哲學之道北行,疏水旁櫻樹成列。哲學家西田幾多郎昔日常在此散步沉思,因此得名;這條約兩公里的小路,連接南禪寺附近與銀閣寺一帶。
途中值得進入白沙村莊——橋本關雪紀念館。庭園、畫室與日本畫彼此相映,門外那一帶櫻樹,也因橋本關雪夫人捐植而有「關雪櫻」之名。
銀閣寺沒有覆上白銀,反而以簡素、幽玄與不完全之美,成為東山文化的象徵。足利義政營造的東求堂同仁齋,被視為四疊半茶室與書院造的重要源流;茶、花、香以及日常生活的審美,也由此逐漸定型。
走入京都御苑,在寬闊林蔭與御所外牆之間慢慢散步,才能體會京都曾經作為千年帝都的從容。
伏見、宇治與洛北:千本鳥居之外
從京都車站出發,東山南部可安排三十三間堂、智積院與東福寺。三十三間堂內,一千零一尊千手觀音在幽暗殿堂中排列,令人感到時間彷彿凝止;智積院的庭園與長谷川等伯一派障壁畫值得細看;東福寺則以通天橋與秋日紅葉聞名。
再到伏見稻荷大社,穿過連綿不絕的千本鳥居。朱紅色鳥居沿稻荷山蜿蜒而上,像一條通往神域的火焰長廊。若能避開人潮繼續登山,愈往高處,鳥居之間愈顯清幽。
宇治上神社並不在伏見稻荷附近,最好另安排半日或一日,與平等院、宇治川及宇治茶一同參觀。宇治的茶香,是京都文化不可缺少的一頁。抹茶的微苦、和菓子的甘甜,以及茶碗留在掌心的溫度,共同構成「和敬清寂」的精神:彼此和諧、互相尊敬、保持清淨,終而回到內心的寂靜。
洛北則另行安排下鴨神社、上賀茂神社、貴船神社、鞍馬寺、八瀨琉璃光院與比叡山延曆寺。夏日在貴船川床聽流水,秋天於琉璃光院看紅葉映入漆黑桌面,冬日登比叡山望白雪覆蓋京都盆地,每一季都有不同的領悟。夜晚回到四條河原町或先斗町,則可看見古都並非沉睡於歷史,而仍擁有現代、明亮而熱鬧的一面。
京都也是一座適合飲茶的城市。在寺院茶席品抹茶,在老町家喝煎茶,在鴨川岸邊啜飲咖啡,感受各不相同。茶道所珍惜的「一期一會」,提醒我們:眼前這一席、這一盞茶、這一次相逢,一生可能只有一次,因此值得以最真誠的心對待。
如今,我的日文或許已不如年輕時流利,但每當走在京都,看見「花見小路」、「清水坂」、「哲学の道」這些文字,沉睡多年的讀音似乎又一個個甦醒。原來,我疏遠的只是語言的熟練,從未失去對文化的感受。
京都對我而言,不只是一座旅遊城市,也是年輕夢想留下的回聲。每一次來,我都像在閱讀同一本書;書頁沒有改變,改變的是閱讀它的自己。
因此,離開京都時,我總會想起芭蕉的那一句:
身在京都,已懷念京都。
而我知道,這一場懷念,終究還會把我帶回來。
Chatgpt 翻譯注音
京都(きょうと)――私(わたし)に再(ふたた)び日本語(にほんご)の響(ひび)きを聞(き)かせてくれる町(まち)
若(わか)い頃(ころ)、私(わたし)は日本語(にほんご)に強(つよ)い興味(きょうみ)を抱(いだ)いていた。高等考試(こうとうこうし)の編訳職(へんやくしょく)を受験(じゅけん)した際(さい)には、英語(えいご)と日本語(にほんご)の両方(りょうほう)に合格(ごうかく)した。当時(とうじ)の私(わたし)は、いつの日(ひ)か二(ふた)つの言語(げんご)の間(あいだ)を行(い)き来(き)し、異(こと)なる文化(ぶんか)の思想(しそう)や感情(かんじょう)を、互(たが)いに理解(りかい)できる言葉(ことば)へ訳(やく)したいと夢見(ゆめみ)ていた。
しかし、人生(じんせい)は思(おも)いどおりには進(すす)まない。生活(せいかつ)のため、私(わたし)は教師(きょうし)の道(みち)を選(えら)んだ。教壇(きょうだん)と学生(がくせい)、そして忙(いそが)しい日々(ひび)の中(なか)で、日本語(にほんご)を使(つか)う機会(きかい)は少(すく)なくなり、次第(しだい)に遠(とお)い存在(そんざい)となった。漢字(かんじ)を見(み)れば意味(いみ)は分(わ)かっても、その読(よ)み方(かた)がすぐには出(で)てこない。それはまるで、記憶(きおく)の奥(おく)に立(た)つ懐(なつ)かしい友人(ゆうじん)の名(な)を、思(おも)い出(だ)せないような感覚(かんかく)である。
それでも、日本(にほん)の文化(ぶんか)を愛(あい)する心(こころ)は、少(すこ)しも薄(うす)れなかった。数(かず)ある日本(にほん)の都市(とし)の中(なか)で、私(わたし)が最(もっと)も愛(あい)する町(まち)は、今(いま)も京都(きょうと)である。
東京(とうきょう)は人(ひと)を驚(おどろ)かせるが、京都(きょうと)は人(ひと)を懐(なつ)かしませる。東京(とうきょう)が未来(みらい)を見上(みあ)げる町(まち)なら、京都(きょうと)は時間(じかん)の流(なが)れを振(ふ)り返(かえ)る町(まち)である。
東京(とうきょう)ほど何度(なんど)も訪(おとず)れたわけではないが、京都(きょうと)では訪(おとず)れるたびに新(あたら)しい発見(はっけん)がある。若(わか)い頃(ころ)は景色(けしき)を見(み)ていたが、年齢(ねんれい)を重(かさ)ねた今(いま)は、その背後(はいご)にある歴史(れきし)を読(よ)むようになった。かつては名所(めいしょ)を急(いそ)いで巡(めぐ)ったが、今(いま)は苔(こけ)の緑(みどり)、町家(まちや)の格子戸(こうしど)、一服(いっぷく)の茶(ちゃ)から立(た)ち上(のぼ)る白(しろ)い湯気(ゆげ)の前(まえ)で、静(しず)かに時(とき)を過(す)ごしたいと思(おも)う。
京都(きょうと)の都(みやこ)としての歴史(れきし)は、延暦十三年(えんりゃくじゅうさんねん)、西暦七百九十四年(せいれきななひゃくきゅうじゅうよねん)の平安京(へいあんきょう)遷都(せんと)に始(はじ)まる。桓武天皇(かんむてんのう)は唐(とう)の長安(ちょうあん)や洛陽(らくよう)を参考(さんこう)に都(みやこ)を築(きず)いた。
その後(ご)、平安時代(へいあんじだい)の宮廷文学(きゅうていぶんがく)、室町時代(むろまちじだい)の禅(ぜん)の美意識(びいしき)、桃山時代(ももやまじだい)の華麗(かれい)な芸術(げいじゅつ)、江戸時代(えどじだい)の町人文化(ちょうにんぶんか)が、この町(まち)に幾重(いくえ)にも積(つ)み重(かさ)なった。京都(きょうと)は単(たん)なる古跡(こせき)の町(まち)ではなく、今(いま)も呼吸(こきゅう)を続(つづ)ける文化(ぶんか)の博物館(はくぶつかん)なのである。
松尾芭蕉(まつおばしょう)は、次(つぎ)のように詠(よ)んだ。
京(きょう)にても京(きょう)なつかしやほととぎす
まだ京都(きょうと)にいるのに、すでに京都(きょうと)が懐(なつ)かしい。この句(く)ほど、私(わたし)の京都(きょうと)への思(おも)いを表(あらわ)す言葉(ことば)はない。
京都(きょうと)の西(にし)、嵐山(あらしやま)では、渡月橋(とげつきょう)の下(した)を大堰川(おおいがわ)が静(しず)かに流(なが)れている。春(はる)は桜(さくら)、夏(なつ)は青葉(あおば)、秋(あき)は紅葉(こうよう)、冬(ふゆ)は淡雪(あわゆき)に包(つつ)まれる。
天龍寺(てんりゅうじ)の曹源池庭園(そうげんちていえん)では、嵐山(あらしやま)と亀山(かめやま)が庭(にわ)の一部(いちぶ)のように見(み)える。嵯峨野(さがの)の竹林(ちくりん)の小径(こみち)を歩(ある)けば、風(かぜ)に触(ふ)れ合(あ)う竹(たけ)の音(おと)が、平安時代(へいあんじだい)の衣(ころも)の響(ひび)きのように聞(き)こえる。
野宮神社(ののみやじんじゃ)には、伊勢神宮(いせじんぐう)へ向(む)かう斎王(さいおう)が身(み)を清(きよ)めた歴史(れきし)があり、『源氏物語(げんじものがたり)』の世界(せかい)を思(おも)わせる。さらに常寂光寺(じょうじゃっこうじ)、大覚寺(だいかくじ)、大沢池(おおさわのいけ)、亀山公園(かめやまこうえん)まで歩(ある)けば、観光客(かんこうきゃく)の喧騒(けんそう)から離(はな)れ、嵯峨野(さがの)の静寂(せいじゃく)に出会(であ)うことができる。
北野白梅町駅(きたのはくばいちょうえき)からは、北野天満宮(きたのてんまんぐう)、金閣寺(きんかくじ)、龍安寺(りょうあんじ)、仁和寺(にんなじ)へと向(む)かう。
北野天満宮(きたのてんまんぐう)では、学問(がくもん)の神(かみ)・菅原道真(すがわらのみちざね)が祀(まつ)られている。金閣寺(きんかくじ)の舎利殿(しゃりでん)は鏡湖池(きょうこち)に金色(こんじき)の姿(すがた)を映(うつ)し、足利義満(あしかがよしみつ)の北山文化(きたやまぶんか)の華(はな)やかさを伝(つた)えている。
龍安寺(りょうあんじ)の石庭(せきてい)は、沈黙(ちんもく)によって人(ひと)に語(かた)りかける。十五個(じゅうごこ)の石(いし)は、どこから見(み)ても一度(いちど)にすべてを見ることができない。それは、人間(にんげん)の知識(ちしき)や視点(してん)が決(けっ)して完全(かんぜん)ではないことを教(おし)えているようである。
仁和寺(にんなじ)の御室桜(おむろざくら)は、春(はる)の終(お)わり頃(ごろ)に咲(さ)く。背(せ)の低(ひく)い桜(さくら)の間(あいだ)を歩(ある)けば、人(ひと)が花(はな)を見上(みあ)げるのではなく、花(はな)の方(ほう)が人(ひと)に会(あ)いに来(き)てくれたように感(かん)じられる。
八月十六日(はちがつじゅうろくにち)の夜(よる)には、鴨川(かもがわ)のほとりなどから五山送り火(ござんのおくりび)を望(のぞ)むことができる。「大(だい)」「妙法(みょうほう)」「船形(ふながた)」「左大文字(ひだりだいもんじ)」「鳥居形(とりいがた)」の火(ひ)が山々(やまやま)に浮(う)かぶ。これは花火大会(はなびたいかい)ではなく、お盆(ぼん)に迎(むか)えた精霊(しょうりょう)を送(おく)る、静(しず)かで厳(おごそ)かな祈(いの)りの行事(ぎょうじ)である。
祇園(ぎおん)と東山(ひがしやま)は、夕暮(ゆうぐ)れ時(どき)が最(もっと)も美(うつく)しい。
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)から八坂神社(やさかじんじゃ)へ進(すす)み、花見小路(はなみこうじ)を歩(ある)く。昼間(ひるま)は石畳(いしだたみ)と町家(まちや)の格子(こうし)が端正(たんせい)な姿(すがた)を見(み)せ、夜(よる)になると提灯(ちょうちん)が灯(とも)り、路地(ろじ)の奥(おく)から下駄(げた)の音(おと)が聞(き)こえてくる。
京都(きょうと)の五花街(ごかがい)とは、上七軒(かみしちけん)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町(みやがわちょう)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、祇園東(ぎおんひがし)である。舞妓(まいこ)や芸妓(げいこ)が受(う)け継(つ)いでいるのは、舞(まい)だけではない。京舞(きょうまい)、三味線(しゃみせん)、茶道(さどう)、華道(かどう)、そして客(きゃく)を大切(たいせつ)にする礼儀(れいぎ)も、京都(きょうと)の文化(ぶんか)の一部(いちぶ)である。
石塀小路(いしべこうじ)から高台寺(こうだいじ)、ねねの道(みち)、一年坂(いちねんざか)、二年坂(にねんざか)、三年坂(さんねんざか)、清水坂(きよみずざか)を通(とお)って、清水寺(きよみずでら)へ上(のぼ)る道(みち)も、京都(きょうと)を代表(だいひょう)する散歩道(さんぽみち)である。
八坂塔(やさかのとう)が町家(まちや)の屋根(やね)の間(あいだ)から姿(すがた)を現(あらわ)すとき、そこには一枚(いちまい)の絵(え)のような京都(きょうと)がある。清水寺(きよみずでら)の舞台(ぶたい)から洛中(らくちゅう)を望(のぞ)めば、春(はる)は桜(さくら)が雲(くも)のように広(ひろ)がり、秋(あき)は紅葉(こうよう)が炎(ほのお)のように山(やま)を染(そ)める。
洛中(らくちゅう)の錦市場(にしきいちば)は、「京(きょう)の台所(だいどころ)」と呼(よ)ばれる。京野菜(きょうやさい)、漬物(つけもの)、湯葉(ゆば)、豆腐(とうふ)、鱧(はも)、だし巻(ま)き卵(たまご)、和菓子(わがし)などが、京都(きょうと)の四季(しき)の味(あじ)を伝(つた)えている。
二条城(にじょうじょう)では、徳川家(とくがわけ)の権力(けんりょく)と歴史(れきし)を感(かん)じることができる。二の丸御殿(にのまるごてん)の鶯張(うぐいすば)りの廊下(ろうか)は、歩(ある)くたびに鳥(とり)の声(こえ)のような音(おと)を立(た)てる。ここはまた、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)の意思(いし)を示(しめ)した、歴史(れきし)の転換点(てんかんてん)でもあった。
平安神宮(へいあんじんぐう)、南禅寺(なんぜんじ)、永観堂(えいかんどう)を訪(たず)ねた後(あと)は、哲学(てつがく)の道(みち)を歩(ある)きたい。哲学者(てつがくしゃ)の西田幾多郎(にしだきたろう)が思索(しさく)しながら歩(ある)いたとされる道(みち)である。
途中(とちゅう)の白沙村荘(はくさそんそう)・橋本関雪記念館(はしもとかんせつきねんかん)では、庭園(ていえん)と日本画(にほんが)が静(しず)かに響(ひび)き合(あ)っている。
銀閣寺(ぎんかくじ)は、金閣寺(きんかくじ)とは異(こと)なり、簡素(かんそ)で幽玄(ゆうげん)な美(び)を示(しめ)す。足利義政(あしかがよしまさ)が築(きず)いた東山文化(ひがしやまぶんか)から、茶(ちゃ)、花(はな)、香(こう)、書院(しょいん)など、日本人(にほんじん)の生活美学(せいかつびがく)が育(そだ)っていった。
京都御苑(きょうとぎょえん)の広(ひろ)い木立(こだち)の間(あいだ)をゆっくり歩(ある)けば、京都(きょうと)が千年(せんねん)の都(みやこ)であったことを、頭(あたま)ではなく身体(からだ)で感(かん)じることができる。
京都駅(きょうとえき)から東山南部(ひがしやまなんぶ)へ向(む)かえば、三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)、智積院(ちしゃくいん)、東福寺(とうふくじ)、伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)を巡(めぐ)ることができる。
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)の千本鳥居(せんぼんどりい)は、朱色(しゅいろ)の炎(ほのお)の回廊(かいろう)のように稲荷山(いなりやま)へ続(つづ)いている。人混(ひとご)みを離(はな)れて山(やま)を登(のぼ)るほど、鳥居(とりい)の間(あいだ)は静(しず)かになり、日常(にちじょう)の世界(せかい)から神域(しんいき)へ入(はい)っていくような感覚(かんかく)になる。
宇治上神社(うじがみじんじゃ)は伏見(ふしみ)とは別(べつ)の地域(ちいき)にあるため、平等院(びょうどういん)、宇治川(うじがわ)、宇治茶(うじちゃ)とともに一日(いちにち)をかけて訪(たず)ねるのがよい。
抹茶(まっちゃ)のほろ苦(にが)さ、和菓子(わがし)の甘(あま)さ、掌(てのひら)に残(のこ)る茶碗(ちゃわん)の温(ぬく)もり。そのすべてが、茶道(さどう)の「和敬清寂(わけいせいじゃく)」へとつながっていく。
洛北(らくほく)では、下鴨神社(しもがもじんじゃ)、上賀茂神社(かみがもじんじゃ)、貴船神社(きふねじんじゃ)、鞍馬寺(くらまでら)、八瀬(やせ)の瑠璃光院(るりこういん)、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を訪(たず)ねたい。夏(なつ)は貴船(きふね)の川床(かわどこ)で水音(みずおと)を聞(き)き、秋(あき)は瑠璃光院(るりこういん)で紅葉(こうよう)の映(うつ)り込(こ)みを眺(なが)め、冬(ふゆ)は比叡山(ひえいざん)から雪(ゆき)に包(つつ)まれた京都盆地(きょうとぼんち)を望(のぞ)む。
夜(よる)には四条河原町(しじょうかわらまち)や先斗町(ぽんとちょう)へ戻(もど)る。そこには歴史(れきし)の中(なか)に眠(ねむ)る古都(こと)ではなく、今(いま)も生(い)き続(つづ)ける明(あか)るい京都(きょうと)がある。
茶道(さどう)の言葉(ことば)に「一期一会(いちごいちえ)」がある。今(いま)、目(め)の前(まえ)にある一服(いっぷく)の茶(ちゃ)と一度(いちど)の出会(であ)いは、二度(にど)と同(おな)じ形(かたち)では訪(おとず)れない。だからこそ、最(もっと)も誠実(せいじつ)な心(こころ)で向(む)き合(あ)わなければならない。
私(わたし)の日本語(にほんご)は、若(わか)い頃(ころ)ほど流暢(りゅうちょう)ではなくなった。しかし京都(きょうと)を歩(ある)き、「花見小路(はなみこうじ)」「清水坂(きよみずざか)」「哲学(てつがく)の道(みち)」という文字(もじ)を目(め)にすると、長(なが)く眠(ねむ)っていた日本語(にほんご)の音(おと)が、一(ひと)つずつ目(め)を覚(さ)ます。
私(わたし)が遠(とお)ざかったのは、語学(ごがく)の技術(ぎじゅつ)だけだったのかもしれない。日本文化(にほんぶんか)を感(かん)じる心(こころ)は、決(けっ)して失(うしな)われてはいなかった。
私(わたし)にとって京都(きょうと)は、単(たん)なる旅(たび)の目的地(もくてきち)ではない。そこは、若(わか)き日(ひ)の夢(ゆめ)が今(いま)も静(しず)かに響(ひび)いている町(まち)である。
訪(おとず)れるたび、私(わたし)は同(おな)じ一冊(いっさつ)の本(ほん)を読(よ)んでいるように感(かん)じる。本(ほん)の頁(ページ)は変(か)わらない。しかし、それを読(よ)む私自身(わたしじしん)が変(か)わっている。
だから京都(きょうと)を離(はな)れるとき、私(わたし)はいつも芭蕉(ばしょう)の句(く)を思(おも)い出(だ)す。
京(きょう)にても、京(きょう)なつかしや。
そして、この懐(なつ)かしさが、いつの日(ひ)か再(ふたた)び私(わたし)を京都(きょうと)へ連(つ)れ戻(もど)してくれることを、私(わたし)は知(し)っている。
宝厳院 Hōgon-in
鴨川》五山送火
二條城路線:錦市場→二條城(德川家)平安神宮路線:→平安神宮→南禪寺→永觀堂哲學之道→銀閣寺→京都御苑!
白沙村荘・橋本関雪記念館Hakusa Sonso Hashimoto Kansetsu Garden&Museum